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到達不能極からの發信

到達不能極から、嶋佐がお傳へします。
日日、健康に、樂しく、そして幸せになる爲に。
舊大阪テレビタレントビユーロー(ttb)のタレントさんを
應援してゐます。

昨年の參議院議員選擧で當選したものの、

一度も登院せず除名に追ひ込まれた、

ガーシー前議員。

 

ガーシー議員に對し、

警視廳は脅迫や威力業務妨害などの容疑で事情廳取を求めたが、ガーシー議員は全く應じなかつた。

 

警視廳は、ガーシー議員が逃亡や證據隱の恐れがあり、

逮捕が必要と判斷した。

 

國會も動き、ガーシー議員は除名となり國會議員の身分を失ふ

參議院議員が、ただの人になり、

國際手配の被疑者となつたのである。

 

 

ガーシー議員に逮捕狀 搜査幹部「もう我慢の限界だ」

 

ある搜査幹部は、「何度も何度も聽取を要請したのに應じない。國會にも登院しない。もう我慢の限界だ」などと話してゐます。

 

「我慢の限界」

 

 

しかしこの件、

假にガーシー前議員が歸國し事情聽取に應じてゐたら、

容疑者にならず書類送檢で濟んでゐたのかな。

 

やつぱり逮捕されたのかな。

 

「ガーシー容疑者」

「ガーシー議員」

 

笑つてしまふのだ。

參議院の議場にある名札(氏名標)に「ガーシー」と

書かれてゐる事にも笑つた。

加へて、選擧で「ガーシー」と書いた人がゐた、

といふ事だ。

 

何故こんな事になつたのだらう。

 

 

 

 

 

あるコンビニに行き、おにぎりを購入する。

 

レジに行くと、

「おにぎりの購入額が300圓を超えたので、お茶を選んで下さい。」

と言はれる。

 

 

机を見ると、

 

5種類のお茶から選ぶやうだ。

 

私は、始めて見た「颯」を選ぶ。

 

まだこのはぴろーは續くやうで、

店に行つてみたい。

 

 

 

昨日、珍しいビールを購入した。

 

バドワイザーのビールである。

價格は約1200圓。

ドラツグ店で見つけた。

 

今日飲んでみると、

あつさりとした味だ。

苦味は少ない。

 

 

よく見ると、日本のビールと違ひ、355mlである。

原産國は韓國。

ありやりや?米國産ではなかつたのかな。

 

米國と韓國では味が違ふ、

といふ意見を見た。

 

米國産ならもつとおいしいのかな。

私は今日飲んだだけで、前の味は分からず、

何とも言へない。

 

また、購入したいな。

 

 

 

 

 

 

時は平成28年、ある知事が世論から激しい批判にさらされた。

 

 

東京都知事の舛添要一氏である。

 

公用車で神奈川縣湯河原町の別莊に通ってゐた事が發覺した。

 

會見では、「問題はない」と反論したが、

世間もマスコミも納得しない。

 

笑はせてくれたのは、

「チヤイナ服」である。

これを着て書道をすると、出來榮えが良くなる、

といつた內容の主張をしてゐた。

 

「セコい」といふ言葉も、舛添氏を象徵する言葉として、

何度も取り上げられた。

 

 

その後、舛添氏は辭任する。

 

 

問題はここからだ。

 

平成29年8月27日放送「爆報フライデー」といふ番組に、

舛添氏が登場したのである。

 

知事を追はれ、

收入が激減したといふ。

 

月收はたつたの11萬と話し、

何故かカツプ麵を食べ始めたのだ。

 

私は、「こんな事ないだらう」と笑つてしまつた。

カツプ麵を啜る姿が本當に演技臭かつたのである。

 

庶民なら、仕事を辭めると11萬なんて稼げるはずもなく、

無收入となつてしまふ。

 

出費だけの日日となるのだ。

 

そんな事はおいて、

舛添氏の「月收11萬圓」と、

カツプ麵を啜る姿が、

今でも强烈に印象に殘つてゐる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舛添前都知事“月收11萬”節約生活明かす カップ麵に家庭菜園の野菜を…

 

 

川村晃司さん

昭和25年8月3日ー令和5年3月24日

早稻田大學第一文學部-日本敎育テレビ・テレビ朝日カイロ支局長

 

システムブレーン

昭和25年青森縣生まれ。
早稻田大學文學部卒業後、テレビ朝日入社。
昭和59年から平成元年までカイロ支局長を務め、イラン・イラク戰爭を最前線で取材。
歸國後、平成元年中國天安門事件を現地リポート、平成3年の灣岸戰爭勃發時にはバグダツドで105日間の長期取材を敢行した。以後「ニユースステーシヨン」報道デスク、ニユーヨーク特派員を經て、平成11年~平成12年コロンビア大學客員硏究員。現在は「やじうまプラス」のほか、「ワイド!スクランブル」など各番組で特に外交、政治經濟に强いコメンテーターとして活躍中。平成16年~現在 立敎大學非常勤講師(政治とメデイア)、平成21年~ 早稻田大學非常勤講師、平成23年~ 明治大學特別招聘敎授。
ドキユメンタリー企畫「シリーズ特集・老ひ…」でギヤラクシー賞、「今、我が子は」で民放連賞受賞。
著書に『戰場記者の10年』ほかがある。

 

 

今から20年前、私はワイドスクランブルといふ番組で、

川村晃司氏を何度も見た。

 

最近番組を見る機會が減つてゐた。

 

今日、何氣なく新聞を開くと、

川村氏の訃報が目に留まつた。

 

私は、寒氣がした。

死因は多臟器不全だつたといふ。

まだやりたい事がいくらでもあつただらう。

 

寂しいものだ。

日本が優勝した、WBC。

 

私が一番好きなのが、メキシコ戰である。

 

9囘裏、大谷選手が2壘打を放つた。

 

ヘルメツトを取り、全力疾走し、2壘に辿り着く。

 

その時、壘上で、

兩手を何度も擧げた。

 

最後、村上選手のヒツトで日本が逆轉勝利する。

 

私がいつまでも忘れないのが、

大谷選手が兩手を何度も擧げたところである。

 

試合後、私はふと思つた。

 

大袈裟な言ひ方をすると、

あの兩手は、日本のベンチに向けて、

だけではなく、

 

日本列島の私達に向けて擧げた、と思つたのである。

 

試合に勝つ事だけを考へてゐるだらうから、

當然、そんな事はないだらうが、

 

私は勝手にさう考へてしまつた。

 

 

 

行動起こせよ!

何を恐れてゐるんだ!

何立ち止まつてゐるんだ!

挑戰しろよ!

 

私は、本氣でさう思つてゐる。

 

 

小さな事でもいいんだ。

できる事をしたらいいんだ。

 

 

藤井治芳さん

昭和11年10月1日-令和5年3月18日

東京都立戸山高等學校-東京大學工學部土木工學科-東京大學大學院工學硏究科土木工學專攻修士課程-建設省ー日本道路公團總裁

 

 

時は平成15年、私はテレビタツクルを見てゐた。

その中で、2人の男が火花を散らせてゐた。

 

國土交通大臣の石原伸晃と日本道路公團總裁の藤井治芳である。

 

石原大臣は、藤井總裁に辭任するやうに迫つたが、

藤井總裁は全く應じなかつた。

しかし、平成15年10月24日に規定により解任されたのであつた。

 

私が知つてゐるのはここまでである。

 

その後、解任取り消しを求めて裁判を起こしてゐたとは、

知らなかつた。

 

平成18年9月6日に、藤井氏の訴へは認められず、

敗訴となつたといふ。

 

 

それから先の事は、分からない。

藤井氏は引退してから、どんな暮らしをしてゐたのであらうか。

 

恨みつらみで過ごしたのか、

昔を氣にせず、悠悠自適の暮らしであつたのだらうか。

 

後者だと信じたい。

昔の事を考へても、

どうにもならないのだ。

それよりも、樂しい事は幾らでもあるだらう。

途方もない額の年金を貰つてゐるだらうから。

 

 

 

藤井氏の訃報を聞きながら、

20年前を思ひ出した。

 

 

 

NHK第1ラヂオを聽く。

 

時報の前に、日本道路交通情報センターから交通情報がある。

 

その中でよく聞く地名があるのだ。

 

久世橋、觀月橋、外環三條…

これは京都府內の道である。

 

私がいつも聞く地名がある。

 

それは「喜連瓜破」といふ所だ。

讀みは、「きれうりわり」と呼ぶ。

 

 

ずつと工事中なのだ。

 

令和4年6月1日から令和7年3月末まで、

喜連瓜破から松原まで松原線終日通行止めとなつてゐる。

 

 

3年とは、長いな。

引き續き、安全運轉を心掛けたい。

 

更に、ブツダ。

個性の强い人物ばかりのブツダ。

 

その中でも强い印象を與へるバンダカ。

 

バンダカは、カピラバストウの王に上りつめたものの、

コーサラ國との戰で亡くなる。

 

バンダカにはダイバダツタといふ子供が生まれた。

 

多くの出會ひ災難が降りかかるが、

めげずに力强く生きていくダイバダツタ。

 

「かうして

貴族の血をうけながら

運命にあやつられてさまよふ

浮浪者になつてしまつた

ダイバダツタ……

いつしか あの たうたうと流れる

ガンジス河のほとりに出て

その河のふところにだかれるやうに

川下へくだつていつたのだつた

ーーそれは シツダルタが旅に出てから

10年もあとの話である」

 

 

 

當時の私は、

「え?10年も後?」と思つてしまつた。

 

しかし、漫畫を讀み直してみると、

シツダルタが出家した時、

バンダカは別の女性と結婚してゐる。

 

バンダカで戰死するが、

その後ダイバダツタが生まれる。

 

この頁のダイバダツタは、10歲位として、

確かに「シツダルタが旅に出てから10年もあと」

なのだ。

 

 

シツダルタとダイバダツタは、

年齡が10歲以上離れているのだ。

 

ダイバダツタとシツダルタが出會つたらどうなるのだらう。