「龍馬は議論しない。」 | 到達不能極からの發信

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到達不能極から、嶋佐がお傳へします。
日日、健康に、樂しく、そして幸せになる爲に。
舊大阪テレビタレントビユーロー(ttb)のタレントさんを
應援してゐます。

平成10年、小説を讀んだ。

有名な「龍馬がゆく」である。

 

挫折しさうになつたが、

全部讀んだ。

 

後で調べて、氣になつた言葉がある。

 

「龍馬は議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり
してはならぬといひきかせてゐる。
もし議論に勝つたとせよ、
相手の名譽をうばふだけのことである。
通常、人間は議論に負けても
自分の所論や生き方は變へぬ生きものだし、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである。」

 

 

文庫本の何卷だつたかは、分からない。

何となくこんな文章があつたかな、といふ記憶だ。

實際に龍馬がこのやうに考へてゐたかも分からない。

 

ネツト上でも、議論が起こる。

 

今は廢れたのか分からないが、

「論破。」と書く人がゐた。

Xでも掲示板でも激しいやりとりをする人がゐる。

 

最後まで言ひ合ひをして、

何が殘るか。

 

「實りのある議論ができました、有難うございます。」

何て事は(ネツト上において)見たことはない。

 

面と向かつて議論する時でも、

感情的になるかもしれない。

 

相手を押さへつけたところで、

何も得ることはない。

 

人の氣持ちは變へられない、

と考へて生きた方が賢明だ。