真の吾(まことのわれ)~本来の自分を生きる~ -2ページ目
私には価値がない

そういう思いは

すべての愛情を跳ね返す


人から誉められても

素直に喜べない


すごいね、と

人から認められても

そんなはずがない、

と自分で消してしまう


好意を持ってる異性に誘われても、

予定があると嘘をついて断る


親切にされても

下心があると疑い


困ったときに

人に助けを求めることができない


私には価値がない


この思いは、

この世界に流れている

膨大な愛情を

自分から分断する


心の奥底では

誰よりも愛情に飢えていながら

愛が入ってこないように

バリアをはる


愛を感じるには

無価値だという誤解を解くこと


価値のない人なんて

この世界にはいない


自分を痛め付けるのをやめて

自分を認めていく


すると世界はたくさんの愛情に満ちていることに気づく


自分が変われば

世界はいまと違う様相を見せてくれる



自分を認めよう

自分を愛そう
















Android携帯からの投稿
「夫はトラウマがあるんですけど、どうしたら取れますか?」

「両親は精神的なことに興味が無いんです。本を勧めても絶対読まないんです。だから変わらないんです。」

「僕より妻のほうが人間関係のセミナーに行くべきなんです。でも妻はお金を払って人の話を聞くなんて信じられないっていうんです。」



心理学とかスピリチュアルな知識を学ぶと


それだけで高尚な人種になったような気がする


そして、自分が正しく


相手が間違っている


という図式を作る


学んだスピリチュアルの知識で


自分を正当化し


相手を裁く


相手を攻撃する


もっとひどいときは


自己卑下する


自分を痛めつける



幸せになる情報で


不幸を作る


これをスピリチュアルエゴと言う


エゴは巧妙だ






Android携帯からの投稿
雨は嫌だなあ、と思う

外に出るのは面倒だ



ずいぶん前のことになるが

雨の中、傘をささずに外に出てみた


すると、何とも言えない

爽快な解放感がからだの中に広がった


嫌なことも

中に入ってみれば

気持ちがいい


あの嫌な人

あの嫌な作業

あの嫌な思い出



嫌なことは

その外側にいると嫌なこと



どっぷり中に入ってみれば

以外と嫌じゃなかったりする



Android携帯からの投稿
どこに行く必要もない

いま、ここにいる自分を

味わう



他の誰かになる必要はない

いま、ここにいる自分で

できることをする


過去に生きない

未来にも生きない

本当に生きられるのは

いまだけ


赤ちゃんは常にいまに生きている


大人でありながら

赤ちゃんのように

いまに生きる


すると安心と安らぎの中に

いられることができる


どこにも行かない

ゴールはいま



Android携帯からの投稿
悩んでる時

自分の視点以外の視点が入り込んでいないか

自分の思考を点検する


例えば何かを決めなくてはいけないとき

知らず知らずのうちに

あの人がこの決定を知ったらどう思うだろう

この人がこれを知ったらどう思うだろう

一般的にこの決定はどうなんだろう

と、自分以外の他人の視点でモノを考えている

ことに気づく


他人の視点を横に置いておいて

「そもそも、私はどう感じているんだろう?」

という質問を投げかける


他人の視点を横に置いて

もっと言えば、他人がどう思うかは「無視」して

「自分がどうしたいかだけ」を考えれば、

意外にシンプルに答えが返ってくる


それをやるだけ


他人の視点は

「本当に他人が考えていること」ではない


他人の視点を使って

自分に降りかかるかもしれない失敗や損から自分を守る

自分が自分につくる防御壁

傷つかないための予防線


それは自分が作り上げた幻

幻はよく見れば消える


ただ、そんなこと言っても

いろんな条件の中で

「自分のどうしたいかだけ」で動くことができないこともある


その時は、自分のできる範囲までやる


いつだって、自分のできることを

自分のできる範囲でやればいいんだ


他人の視点にとらわれて

自分ができることすらもやらない


そして自分が何もやらないことを

他人のせいにしてしまうことほど

つまらないことはない


繰り返すけど

いつだって、自分のできることを

自分のできる範囲でやればいいんだ
似て非なるものというのは

世の中にたくさんあるが

「反省」と「自己卑下」もそのひとつ



「反省」は過去自分が行なったことに対しての検証であり

その行為がどうであったか、そして今後どうするかを考えること

それ以上でも、それ以下でもない



「自己卑下」は過去自分が行なったことに対して

いかに自分が至らないか、つまらぬ人間か

ダメな人間か、バカか、最悪か・・・・

と、「自分を痛めつける」行為である


反省は次どうするか、なので生産的だが

「自己卑下」は自分がいかにいたらない人間であるかを

証明することにばかり意識が働くので

非常に非生産的な行為、もっと言えば

ムダな行為である



しかし、この自己卑下を人はやめられない

なぜかと言えば

自己卑下にはある種の快感が流れているからだ



中毒性のある、まるで麻薬のような

苦くて苦しいが、光悦な快感がそこにある

自己卑下しているときは

苦しい、辛いと言いながら

その甘美で奇妙な喜びから抜け出すことができない



また、自分で自分を痛めつける人は

自分にナイフを向けていない人を見ると

イライラしたり腹が立つ



自分を他人に投影する



動物の中で

人間だけが自分で自分を痛めつける


自分を痛めつけることは

幸せに生きるためには全く必要のないことだ


中毒から抜け出すには

自分が自分に向けているナイフに気づくこと


そして、そのナイフをただ降ろすこと


理由なんていらない


ただ、自分を傷つけないことを選択すること


自分を傷つける必要なんて全くない


自分を大切にする


すると、他人を大切にできる


自分を他人に投影しなくなるから


私も過去、たくさん自分を傷つけてきた


そして、自分を痛めつけることは

本当に意味の無いことだということに気づき

自分に謝罪した

くる日も来る日も自分に謝罪した

そして、自分を痛めつけることをやめた


今でも、自分を痛めつけようとすることはある

ただ、自分で自分を傷つけようとする前の

自分にナイフを向けた段階で

気づくことができる


そして、それは自分が望んでいることではないので

そのナイフを下ろす


ただ、それだけで

自分を痛めつけることをやめるだけで

多くの人の人生は好転すると思う
やりたいことが見つからない

という人がいる

その原因として



やりたいことが見つかれば不安や恐れから開放される



と思っていることがひとつ挙げられる


「やりたいこと」にはネガティブな要素は

1ミクロンも含まれないと思っている


マイナスな感情を抱くものは「やりたいこと」ではない

それは天命ではないと思って、

「あれでもない、これでもない」

と完璧に、喜びだけのものを探す


真逆だ


やりたいからこそ不安になる

やりたいからこそ怖くなる

やりたいからこそ体に不快な感じが流れる



好きな異性に告白する時に

恐れや不安を抱かない人がいるだろうか

付き合いたいと思えば思うほど

一緒にいたいと思えば思うほど

告白を決心した前夜は眠れない



不安や恐れは自分の熱意のフィードバック



そのことをどれだけやりたいか


は恐れの奥にある



だから、恐れと不安を切り離しては

一生やりたいことに出会えない



不安の奥にある熱意を感じよう



すると自分のやりたかったことがおぼろげながら

輪郭を見せてくれる



「やっと気づいてくれたね」



と言わんばかりに
あなたが

「最近良く食べるね」

と言われたらどんな感情が

沸いてきますか?


「何?太ったって言いたい訳?」

「そうなんだよ!最近調子良くてさ!」

「え?あ、はい・・・」

「やっぱり、私ブタになってる~」



良く食べるね

そう言っただけなのに

ある人は攻撃的になり

ある人は誉められた気がし

ある人は混乱し

ある人は自己卑下をする


言葉に反応する自分の態度は

自分が持ってる観念で作られる


だから、私の発した言葉を

あなたは捉えたいように捉える


あなたの発した言葉を

私は捉えたいように捉える


私たちは

この世界を

捉えたいように捉える


ありのままに捉えていない

自分の都合に合わせて捉える


不都合なことは

自分に都合が悪いこと


都合を捨てれば

不都合は消える


ただそれだけのことを

行うのは難しい


だけど、都合が捨てられるようになるために

それを学ぶために

不都合なことがたくさん起こる


宇宙の大いなる愛だ
本当はどうしたい?

僕の望みはただシンプル。
幸せでありたいと思っている。

それは何より自分のため。
そして愛する家族と友人のため。
人は自分を幸せにした度合いしか
他人を幸せにすることはできないから。

自分を大切にすると、みんなが喜ぶんだ。

いま、本当は自分の生き方に納得していないよね。
本当は自分を変えたいと思っているね。

きっとあなたは深く傷ついてきたね。
だから、自分を守ることに必死だったね。

そして、生き方を変えられなくなっちゃったね。
幸せの選び方が、わからなくなっちゃたね。

本当はどうしたい?
昨日は祖父の墓参りに行った。

雨が降っていたが、近くによったので

ご挨拶だけでも、と思い伺った。

墓参りは私の中で

決して私は一人で生きていない

ということを再確認する儀式だ

祖父が祖母と出会っていなかったら

両親が生まれることはなかった

したがって、私は生まれていない。

祖父の両親が出会っていなかったら

そのまた両親が出会っていなかったら

そのまた、そのまた両親が出会っていなかったら・・・・

そうやってたどっていくと

縄文時代から、

いやもっと以前の

生物が誕生した時から

脈々と続く何百、何千という

肉親のつながりの末が自分であることを知る。

そんな途方もない、時間と縁に意識を合わせるとき

私の存在は奇跡であることを知る。

私は生かされていて、

そして、この人生を生きることを

与えられている。

私は一人で生きているのではなくて

多くの縁、全体性のなかの一部として生きている。