おばあさんは何も悪くないよ。 | 真の吾(まことのわれ)~本来の自分を生きる~
今日の気づき。

人はいつでも自分の都合で生きているな、と感じます。
自分の都合で観て、自分の都合で聞いて、自分の都合で話している。

そして、いつでも自分が正しい。

この「自分が正しい」、という感情から得られるエネルギーは
人のなによりのごちそう。

自分が正しいためには、相手が間違っていなくてはいけない。

だから、知らず知らずのうちに相手を責め始める。

「自分が正しい」というエネルギーを得るために
自分のことを過大に評価して、
相手の些細なことを責めていく。

そんな、姑息なことをするしくみは
「自分が正しい」という感情から生まれます。

このことを説明するために恥ずかしながら自分の体験を話します。


ある日のこと。
私は電車で椅子に座ってマンガを読んでいました。
すると、おばあさんが乗ってきました。




   席譲ろうかな。

   でもこのおばあさん、元気そうだから
   席譲るなんて言ったら、ちょっと失礼かな。

   てゆうか、この人おばあさんなのかな?
   おばさんなのかな?
   年齢よくわかんないな?
   そもそもおばあさんとおばさんの違いってなんだ?

   あーでも、この漫画今日読み終わんなきゃいけないしー。
   座っていたほうが読みやすいし。
   たぶんこの漫画、俺の人生変えることになるだろうから
   今、読んどかないとあとあと後悔すると思うんだよね。
   だから、座って集中して読みたいんだよね。

   他の人も席譲らないし、
   なんとなく、腰もだるい感じだし。

   いいよね、譲らなくて。
   譲ろうとしただけ偉いよね。

   んーなんか、モヤモヤしてきたなぁ~・・・・。

   そもそもおばあさんが、おばさんなのかおばあさんなのか
   はっきりしてくれれば良いんだよ!

   だったら、俺も「はいどうぞ」って譲れるのにさ。
   おばあさんなら、もっとおばあさんらしくしてくれないと!

   あ、杖とかいいね、
   次乗るときは、杖持っててくれよ!

   あーなんかムカいてきたぁーーーー。

   ・・・・・・・・・・



おばあさんはただ電車に乗っただけ。
おばあさんはただ、私の前に立っているだけ。

それなのに私は、
ひとりでいろんなことを考える。

挙句の果てには、
いつでも読めるだろう漫画を、「人生が変わる本」と過大評価して
ただ電車に乗っている人を、

「おばあさんかどうか分かりずらい」

とまったくもって意味不明な理由で責め始める。



おばあさんは何も悪くないよ。



自分のフィルターが曇っているだけ。



現象をちゃんと観れば、
私は「どうぞ」と席を譲り、
おばあさんがそれを受け入れれば、私は立って漫画を読む。
おばあさんがそれを受け入れなければ、私は座って漫画を読む。



ただ、それだけ。



なのに、どうして、こんなにも思考を働かすのか。

どうして、こんなにも無駄な考えが頭の中を回っているのか。



それは、どうしても、


「いつでも自分は正しい」


そう、思っていたいから。


「自分が正しい」って思えるために私は
見るもの、聞くもの、触るもの、五感のすべてと
感じること、考えることすべてが歪んでいきました。

冷静になって読めば、この話はただの私の恥ずかしい過去の体験です。
ただ、きっと誰でも同じような経験はあるはずです。
人間関係のいざこざは、「自分が正しい、相手は間違っている」の
心の働きから来るものが非常に多いと思います。


家族関係を例に上げても、
『私が正しい、お父さん(お母さん、娘、息子)が間違っているのよ!』
っていうことがどこの家庭でも起きています。


現象をあるがまま、そのままに観るようになると
いろんな矛盾が減っていきます。


明日は

「あのねぇ、他人と過去は変えられないんだ!自分と未来しか変えられないんだよ!」

って他人に説教(つまり自分を変えずに他人を変えようとした)経験について書きます。(すごい矛盾)