おはようございます!!
$しんごマンのブログ

記事から抜粋。

現役を引退した大相撲の大関魁皇(38)=本名古賀博之、福岡県出身、友綱部屋=が20日、名古屋市内のホテルで記者会見に臨み「もう一つ上(横綱)もあり、地元の九州場所で優勝したかった思いはあるが、それ以上にいい人生を送ってきたので悔いはない」と述べ、晴れ晴れとした表情で23年余りの現役生活を振り返った。同日、日本相撲協会に引退届を提出し、年寄「浅香山」を襲名した。

名古屋場所10日目の19日、琴欧洲に完敗し「大関戦だったし、本当に最後の引き際」と決意。

今場所で通算勝ち星記録を更新したが「記録に目標を置いてしまい、達成後は負けた後の悔しさがなくなってしまった」と胸中を明かした。

相撲が大嫌いだった少年が、大声援を浴びる人気大関になった。

「だんだん楽しくなり、知らない人が応援してくれたから頑張れた」とファンに感謝。

「本当に楽しかったから、生まれ変わっても相撲取りになるかな」と人懐こい笑みを見せた。 

以上。


本当に、お疲れ様でした。

多分普通の方が気になる所と自分が気になる所の違いがあります。

自分が気になるのは、

魁皇を支えていた治療家や医療機関です。

38歳の競技者を支え続ける事は、中学生や高校生の体を見る事よりもはるかに難しい。

いやらしい話だが、コレからの選手に目をつけ、落ち目の選手には手を出さない。

これは、スポーツ業界全体のセオリーで、トレーナー治療家も同じです。

イチローのトレーナーは本を出すまでになれるが、後半の江川などを見てきたトレーナーは有りもしない話まで出てくる。

他にも、清原選手のトレーナーも悪評を極めましたが、今でも清原選手は其処へ通ってます。

選手によっては治療家のせいにしてしまう。

自分達としても、有名な方の後半の選手は要注意人物になってしまいます。

向き合う時は、ある程度の覚悟を持つ必要が有ります。


魁皇は
1988年から

1997年まで故障らしい故障は見当たらない。

1997年
5月場所 - 左腸腰筋及び恥骨筋筋挫傷で自身初の幕内での休場

2000年
9月場所 - 新大関、直前の稽古で親指を骨折しながらも終盤まで優勝を争い11勝4敗

2001年

自分からするとこの年から、10年もたせたんだと思うと、魁皇も、治療者も相当大変だったのではないかと思うんです。

5月場所 - 初の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺のため9日目から途中休場
9月場所 - 2度目の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺が再発のため4日目から途中休場
11月場所 - 2度目の角番、千秋楽結びで武蔵丸に勝利した際に会場から祝福の座布団が舞う

2002年
7月場所 - 左上腕二頭筋長頭及び短頭断裂のため4日目から途中休場
9月場所 - 3度目の角番
11月場所 - 右上腕二頭筋長頭腱断裂のため4日目から途中休場

2003年
1月場所 - 公傷で全休
11月場所 - 5度目の角番、坐骨骨折に悩む(10勝5敗)

2005年
1月場所 - 4度目の綱取り場所、左肩腱板炎のため10日目から途中休場

3月場所 - 6度目の角番、左肩及び左上腕を怪我(10勝5敗)

5月場所 - 初日から5連勝するも、左腰部筋筋膜炎のため6日目から途中休場

7月場所 - 7度目の角番(小錦と並び角番史上2位タイ)、10勝5敗で角番脱出

9月場所 - 右大腿屈筋筋繊維断裂のため4日目から途中休場

2006年
1月場所 - 2日目に通算勝星800勝達成、腰椎椎間板症のため9日目から途中休場

3月場所 - 9度目の角番、12日目までに5勝7敗と引退の瀬戸際に追い込まれるも13日目から3連勝で千秋楽に勝ち越しを決めて角番脱出

5月場所 - 初日から2連敗して再び引退が騒がれたが、3日目から8連勝して10日目に勝ち越し引退説を弾き飛ばす

9月場所 - 戦後初の34歳大関、本年2度目の腰椎椎間板症のため7日目から途中休場
11月場所 - 10度目の角番、初日から8連勝で角番脱出、途中まで優勝争いにも入ったが投げ主体の取り口で内容に乏しく後半戦は失速し10勝5敗に終わったものの1年ぶりの2桁勝利、全日程終了後は「来年も九州に現役で戻って来られるように頑張ります」と力強く話す

2007年
5月場所 - 初日から6連勝で通算勝星861勝達成(寺尾の860勝を抜いて歴代単独5位)、13日目に朝青龍を2004年11月場所以来15場所ぶりに破り連敗を8で止める、3場所ぶりの10勝5敗だった。

7月場所 - 4日目に史上6人目の幕内勝星700勝達成、11日目に勝ち越したが左大腿屈筋損傷のため13日目から途中休場

9月場所 - 3日目に戦後最年長大関、左大腿屈筋損傷のため6日目から途中休場

11月場所 ‐ 11度目角番、大関在位44場所(北天佑と並び歴代3位タイ)、14日目に勝ち越して角番脱出、取り組み後に現役続行への意欲も示し「とことん、飽きられるまでやるのも…」と熱い想いを語る

2008年
5月場所 - 初日に史上4人目の通算勝星900勝達成、13日目に5月場所は2年連続で朝青龍を破る(同じ決まり手「上手出し投げ」で勝っている)

7月場所 - 12日目(36歳の誕生日)に幕内勝星747勝達成(大鵬の746勝を抜き歴代単独3位)
11月場所 - 大関在位50場所(貴ノ花と並び歴代2位タイ)、右下腿三頭筋筋挫傷及び左上腕三頭筋筋挫傷のため4日目から途中休場

2009年
1月場所 - 12度目の角番(当時千代大海と並び角番歴代1位タイ)、12日目に勝ち越して角番脱出、大関在位51場所(歴代単独2位)、幕内在位93場所(高見山に次いで寺尾と並び歴代2位タイ)

3月場所 - 幕内在位94場所(寺尾を抜き歴代単独2位)

7月場所 - 3日目に通算勝星952勝達成(北の湖の951勝を抜き歴代単独3位)、13日目は37歳の誕生日

9月場所 - 幕内在位97場所(高見山と並び歴代1位タイ「一時は絶対に破られない記録」とまで言われていた)、10日目に通算勝星965勝達成(大潮を抜き歴代単独2位)

11月場所 - 幕内在位98場所(歴代単独1位)、3日目に史上3人目の幕内勝星800勝達成、10日目に幕内勝星805勝達成(北の湖の804勝を抜き歴代単独2位)、千秋楽で琴光喜に勝利し8勝7敗、1958年から始まった年6場所制度では52年の歴史で幕内史上初の「年6場所全て8勝7敗」という珍記録達成

2010年
1月場所 - 2日目に豪栄道に勝ち(この1番は魁皇得意の左四つ右上手)、19年ぶりに千代の富士の持つ幕内通算807勝達成、3日目に長年共に支えあってきた千代大海に勝って(豪快な送り投げ)幕内勝星808勝達成(歴代単独1位)、9勝6敗(9勝以上は8場所ぶり)また、横綱白鵬にも2006年3月場所以来となる勝利をし、対白鵬戦の連敗を17でストップした。

3月場所 - 史上初の「幕内在位100場所」達成、8勝7敗で「3月場所20年間連続勝ち越し」という未曾有の記録達成

7月場所 - 大関以上の地位で日本出身の力士は魁皇1人、8日目まで6勝2敗と好調だったがその後2連敗、左肩甲下筋腱断裂の疑いで11日目から途中休場、休場中の14日目に38歳の誕生日

9月場所 - 13度目の角番、横綱大関総当たりの地位となる前頭3枚目以上の連続在位100場所達成(下表参照)、5日目に幕内出場数1379回(寺尾を抜いて歴代単独2位)、2日目に右太股、4日目に右膝を痛め、中日までに黒星が先行して角番脱出絶望的かと思われたが、その後2大関を破るなど少しずつ星を戻して14日目に稀勢の里を寄り切り角番脱出

2011年
1月場所 - 土佐ノ海が11月場所を最後に引退したためこの場所から関取最年長力士となる。

12日目に把瑠都に勝ち、史上初の通算100場所勝ち越しを達成した。

5月技量審査場所 - 12日目の把瑠都戦で幕内出場数1431回(高見山を抜いて歴代単独1位)を達成。この場所は9勝止まりであったため、千代の富士の持つ通算勝星1045の記録には僅か1勝届かなかったが、千秋楽に白鵬に2010年1月場所以来となる勝利をした。

7月場所 - 大関在位65場所(千代大海と並び歴代1位タイ)。
坐骨神経痛を発症し初日から3連敗と足踏みしたものの4日目に豊ノ島に勝ち、歴代1位となる千代の富士の持つ通算1045勝と肩を並べた。

5日目には旭天鵬と対戦。

得意の右上手を取り、寄り切りで白星をあげ、ついに通算1046勝となり単独1位となった。7日目の安美錦戦で寄り倒して通算1047勝を挙げたが、これが現役最後の白星となった。

7月19日 - 10日目琴欧洲戦の敗北を最後に現役引退を表明。


当院の患者さんも、傾向としては同じです。

ヘルニア、坐骨神経痛、それに伴う下腿屈筋群の損傷。

(これは、以前書いた、ヘルニアや坐骨神経痛を治さないとこうなりますと言う記事にあった内容に近い物です。
屈筋群とは、太ももで言えば、ハムストリングス、膝下で言えば、ふくらはぎ更に膝も痛めてます。
魁皇も、この部分の損傷、肉離れが多かったと言う事です。)


頚椎の故障から来る二頭筋腱炎や三頭筋の故障。

ヘルニア発症から10年、随伴症状を伴いながら、前線で戦う選手を診る事は簡単では無い。

長い付き合いなのだろうか?と想像する。

ただ、故障の無い20代前半から(正直このぐらいの調子の良いトップアスリートなら簡単な気がする)、故障だらけの30代で同じトレーナーでは手に負えなくなる事は想像してしまう。

当院の患者さんも、ある程度、マッサージや整骨院、整形でダメで、それからのお付き合いの方が非常に多い。

そこまでは、それが普通の治療と思われている。

自分のイメージとしては、その一線を越えた時点で、トレーナーや治療家、医療機関を見直していそうな気がする。

とにも、かくにも、年輩の競技者を見られている先生は、選手が好成績を出せなくても、治療技術は高い事が多い。

でも、コレだけの好成績を成し遂げたのだから、支えてきた方もさぞかし素晴らしい方なのかな?と思います。



で、まとめると、ここまで、魁皇を見て来た治療家は凄いんだろーなーと思うと言う事です。

大変だっただろうなーと思うのです。

魁皇もお疲れ様ですが、彼を支えた方々も、治療家以外の多くの方々もお疲れ様でしたっ!と思うんです!!


おまけで、ヘルニアのはじまりから、故障する月に、9月が多い事にお気付きでしょうか?

こういう不思議は東洋医学でしか解らないかもしれませんね。