こんにちは、アオです。


私は寒がりです。更年期もホットフラッシュになるどころか、つま先や下腹部が時折ズーンと冷えて困ったものでした。

だから、貼るカイロは私の大事な大事な必需品です。

暖かくなった、と思ったのもつかの間、またまた冷えてますね。

カイロから開放される日は、まだまだ先のようです。





作家の曽野綾子さんが先日お亡くなりになられました。


近年はエッセイやメディアを通して、ご自身の思想や発言で色々と物議を醸すこともあったようですね。

最近のエッセイ等は、私は手に取ることはなかったので、その辺りの事は割愛します。


曽野綾子さんの訃報を知った時、最初に思い出したのが、こちらの2冊の文庫本でした。



『太郎物語』と『二十一歳の父』。

私が高校生の時、いや大学に入っても社会人になっても、何度も何度も繰り返し読んだ本です。





それぞれ昭和55年、昭和56年に印刷されたようです。

手に取ると、古い本独特の乾いた匂いが漂います。

中のページも赤茶けて、なんと言っても活字が小さいこと。


私は高校生の時、なぜか文庫本のカバーを取って本体だけで読むことにハマっていました。

やり始めた理由すら覚えていないのですが、なんとなくそのお年頃特有の美学というか、、、自分なりにカッコつけたかったのでしょうね。


『太郎物語 高校編』は、高校生の太郎君が恋や友情、将来の事や自分の事、、、様々な事に悩みながらも成長していく青春物語。


そして、特に繰り返し読んだ『二十一歳の父』。こちらは、性格の全く異なる2人の大学生が、将来の事を手探りしながら、立ち止まったり進んだり。

そして、1人は盲目の少女と出会い、二十一歳の父になるのですが、悲しい結末が。


今思えば、少々メロドラマ調でもあったのかもしれません。でも若い純粋な夫婦のことを思って何度も涙を流し、性格の異なる親友の、あっさりしつつも芯のある考え方に憧れを抱いていました。

そして若さゆえの、世の中へのやるせなさや苛立ちを一緒に共感し合っていたのだと思います。


本当に何度読んだのか分からないほど繰り返し読んでいました。

今思い返しても、人生の中で一番多感な頃に強く惹かれて読み返して。

きっと、今現在に続く私の血となり肉となっていた作品なのでしょう。


私は本好きと言っても、そんなにたくさんの本を読む方ではありません。

友人の数もそんなに多くはないかもしれません。


でも昔から、私を支えてくれる友人や本が少なくても存在してくれている。

、、、本当に幸せなことです。








文庫本のカバーは、こんなイラストでしたね。

あぁ、懐かしい。