足利氏館(鑁阿寺)@栃木県 | つぶやき城ー。訪城記録

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まだまだ初心者の、城をどこまでも愛する男。

旅のついでに行った城が、今では城に行くための旅が何よりの楽しみ。

一つとして同じ城はなく、全ての城に歴史と個性がある。

見る角度、見る季節、見る天気によって表情が変わるその姿に恋をした。

2025年1月25日

 

鉢形城→金山城→最後は栃木県にある足利氏館に向かいました。

こちらも日本100名城です。

 

現在は鑁阿寺として、栃木県の観光名所となっています。

 

金山城からは車で30分もかからず到着。

15時前に着いたので、計画していた通りに3城攻略できました。

 

実際に城を見て周るのも楽しいのですが、計画している時間も楽しいと思う今日この頃。

 

そして、計画通りにいった時の達成感も格別。

 

足利氏館は近くに観光客用の無料の駐車場がありますので便利です。



足利氏館は平安時代から鎌倉時代初期に、二代目足利義兼によって建てられた居館となります。

 

北223m、南211m、西206m、東175mの不整台形をしていて、周囲を堀と土塁で囲んでいます。

 

足利義兼は鎌倉時代に鑁阿寺を建立。

室町幕府の将軍家、関東公方家に厚く保護されてきた鑁阿寺は現在国宝となっています。



メインゲートとなるのが、南側にある八脚楼門。

水堀に架けられた橋は太鼓橋、唐破風を引き延ばしたような屋根の付いた橋は初めて見ました。



高欄を配した八脚楼門は本堂と同じ年代に建築されましたが、現在の楼門は江戸時代に再建されたとされています。

 

本瓦葺の瓦、何よりも特殊なのが山門でありながら鯱が上がっている点。



下から見上げると木造の重厚感があります。

 

寺院建築の特徴といえる、外側にせり出す彫刻のような組み方を三ツ斗組といいます。



楼門を抜けると真っ直ぐ鑁阿寺の本堂に繋がります。

 

本堂は入母屋造りの禅宗様式という垂直に降りてくる屋根が中間くらいで外側に曲線を描いて跳ね出すスタイル。

 

禅宗様式は建築士の試験でもよく出ていた定番の問題でした。



楼門と同じく本堂にも鯱が上がっています。

 

木造建築の難敵はいつの時代も火災。

城郭建築では火除けで鯱を上げるのが一般的となりました。

 

鑁阿寺も武士である足利氏の名残なのでしょうか。

 

最初に鯱を上げた城は安土城と言われています。

そして、日本で最初の鯱は長野県の大法寺で鎌倉末期〜室町時代に造られたものと言われています。


詳細は分からないのですが、時系列から推測すると鑁阿寺の鯱は後世に上がったものなのでしょうか。

とても、気になるところです。



間近で見ると迫力があり、同時に鎌倉時代の建築らしさを感じます。

 

本堂の建立は1197年。

その後、足利義氏が大堂を建立したが消失。

1299年に再建しました。

すでに720年以上経過しています。

 

修復などのメンテナンスは必要ですが、これだけの年月を生かし続けることのできる日本の技術の高さは誇るべき点です。

 

本堂は国宝に指定されています。

 

関東・東北の中でも、本堂が国宝指定されているのは数少ないため、とても貴重です。



本堂の軒下。

横架材で中全体を支えていますが、全ての材料で曲線を描くRが均一で配列されています。

 

また、木材一つ一つに彫刻が施されているのが特徴。

これは城郭建築では見ることのできない装飾。



国の指定重要文化財の鐘楼。

1196年に足利義兼が本堂に次いで創建しました。

 

禅宗様式の入母屋造りで、瓦は本瓦葺き、寺院建築特有の三ツ斗組。

 

建物は小さいながらも、当時の木造建築の技術を盛り込んだ鐘楼です。



鐘楼前の広場は綺麗な庭園となっています。

 

夕方に近づいたことで人も少なくなってきたので、より一層この空間には優雅な時間が流れています。



土塁の上は歩けるように整備されています。

この辺りは城郭っぽさを感じるポイント。



鑁阿寺内部からの土塁。

この時代にこの規模の館を造った足利氏は、やはり力があったのだと想像できます。



栃木県の指定文化財の多宝堂。

足利義兼が創建したとされていますが、江戸幕府五代将軍の母が再建。




中には限られた日しか入ることができませんが、外観だけでも十分見所があります。

 

多宝堂では大日如来と勢至菩薩を祀っています。



こちらは国指定重要文化財の経堂。

足利義兼が妻の供養のために一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建しました。

 

寺の言い伝えでは1196年。鎌倉幕府ができてすぐに創建。

 

現在の建物は1407年に再建。

 

今回、中に入ることができました。

中は写真撮影不可でしたが、八角形の回転式の経棚があり、さらに歴代の足利将軍の坐像が祀ってありました。




現存、工事中の鑁阿寺中御堂。

注目すべきは工事施工会社が金剛組です!


ネットで調べるとすぐに出てきますが、金剛組は世界最古の会社!創業は578年聖徳太子が四天王寺を建立する際に創始されたと伝わります。


既に1400年以上の歴史を誇る、宮大工を擁する会社です。



北門。

足利市重要文化財で江戸末期の面影を残す薬医門。

 

足利義兼の息子の足利義氏は、鑁阿寺維持のために堀の外に十二の支院を造りました。

 

その中の十手院が筆頭であり、北門は大正時代に十手院から移築しました。

 

規模としてはかなり大きめの薬医門。



東門と水堀と土塁。

東門は栃木県指定文化財です。  




城郭建築というより、武家屋敷の格式ある門っぽさと個人的には感じます。

 

鎌倉時代から室町時代になり、戦国の世の中になると城は戦う城へと役割が変わり、山城へと変化していきます。

 

しかし、特に鎌倉時代の建築はベースになっています。



入母屋の四脚門。

シンプルながらも礎石を使った、しっかりとした造り。



最後は反対側の西門を抜けます。

西門も東門同様に栃木県指定文化財。

 

足利尊氏が室町幕府を開くと、鑁阿寺は足利市発祥の地として重宝されました。

 

寺院内には公園もあり、子どもたちが元気に遊んでいました。

 

国宝のお寺の中で普通に遊べるなんて凄いなと思いつつ、

何百年もこの地で歴史を見てきた鑁阿寺内で無邪気に遊ぶ子ども達の姿がとても新鮮でした。

 

子ども達の楽しそうな笑顔こそ、平和の象徴。

 

鑁阿寺は700年以上、この地で様々な出来事を見てきたと考えると、今の世の中は幸せな時代なのかもしれません。

 

これからも素晴らしい伝統と文化、そして何よりも平和を守り続けることは、我々の使命です。

 

約1時間半ほど見て周り日帰り弾丸1人旅は終わりました。