つぶやき城ー。訪城BLOG

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まだまだ初心者の、城をどこまでも愛する男。

一つとして同じ城はなく、全ての城に個性があるから知りたくなる。

見る角度によって、見る季節によって、見る気候によって表情が変わるその姿に、私は恋をした。

2025年5月16日


2023年11月以来となる二度目の訪問となった山形城。

出羽57万石 最上義光の居城で、現在は霞城公園として桜の名所となっています。


山形城の特徴は東北最大級の近世平城で、全国で見ても有数の広さを誇る城です。


山形駅から歩いて10分程。

最上義光は山形城を改修した際に、城下町も整備したとされています。


朝8時半に山形駅前から、のんびりと歩きながら向かいます。


前回は二ノ丸東大手門から入城しましたが、今回は山形駅から近い南大手門から入城。



おもわず見惚れてしまう、美しい南大手門の石垣が現れます。



主要な虎口は石垣で形成され、全体的な堀は土造りになっているのが山形城の特徴。


随所に堀が張り出しており、側面からも攻撃できるよう設計されています。



二ノ丸を囲むように水堀があり、幅は20m〜40m。



南大手門の先は二ノ丸となっており、重厚感がある石垣を見る限り、厳重な櫓門があったのではないかと想像できます。



枡形となっていて、防御力と格式を備えた城門の一つでした。



振り返っての一枚。

90度折れ曲がって、さらに90度折れ曲がる喰い違いになっています。


山形城は本丸を囲むように二ノ丸が配され、さらに二ノ丸を囲むように三ノ丸が築かれました。


現在、二ノ丸跡には体育館や県立博物館などが建てられています。



続いて、本丸の空堀と土塁。

以前、訪城した際もこの本丸土塁には感動しました。


やはり近世城郭のといえば美しい石垣ですが、山形城を見て土造りの城もカッコいいと思うキッカケとなりました。



本丸の空堀は複雑な形状をしています。



本丸と二ノ丸を繋ぐ大手橋と本丸一文字門。

前回きた際は門が閉まっていて本丸に入ることができなかったので、今回はこれが訪城の目的でもありました。



大手橋と本丸一文字門は2005年に復元。



一文字門は高麗門。その先は巨大な枡形となっています。


枡形の先の石垣には大きな長屋形式の一文字櫓と、櫓門があったとされています。

これは復元計画もあるので、いつの日か大迫力の建築物を見ることができるかもしれません。




巨大城郭の本丸を守っていた門なので、格式が高かったと考えられます。復元を切に願っています。



大手橋脇の石垣。

隅は算木積みで美しい勾配を描き、他は石材をある程度加工した打込接。



そして、山形城の代名詞と言える最上義光像。

後ろには1991年に復元された二ノ丸東大手門。



櫓門の高さは約12.9m、幅31.8mとかなり重厚感があります。

その規模は江戸城の城門に匹敵ことから、江戸城のシーンとして映画などの撮影でも使われているようです。


右手には続櫓が接続。



高麗門、櫓門、続櫓、土塀で構成された巨大な枡形は、本丸の一文字門と同じ形式。


奥には長屋形式の北櫓が土塀と接続しています。



大手橋と正面には高麗門、左手は櫓門と続櫓、右手は北櫓。



二ノ丸を囲む水堀。


春には満開の桜と水堀と白漆喰の櫓が美しいコントラストを演出します。



水堀沿いには電車が走っています。

石垣と土造りを巧みにミックスした素晴らしい近世城郭。



出羽57万石の山形城は、最上義光が亡くなった後にお家騒動によって最上家は改易。


その後は度々城主は変わり、江戸中期には城の維持が困難となり御殿は二ノ丸に置かれて本丸は更地になり、三ノ丸は半分が田畑になっていたそうです。


明治期には城郭は荒廃し、雪風にも耐えかねる状態でした。


しかし時を経て、山形城は献身的な自治体の元でかつての美しい城郭を取り戻しつつあります。


山形県はワタクシの祖父がいたこともあり、個人的には所縁のある県ですので、山形城の魅力が少しでも伝わることを願っています。


ちなみに、祖父の名は光義。

最上義光から拝借したのでしょうか。