2026年5月17日
本日は千葉県松戸市にある小金城に初訪城です。
小金城は千葉氏の家老だった原氏の重臣 高城氏の居城で、上杉氏の下総侵攻を防ぐ拠点として配置したと考えられています。
1537年に築城され、3代53年に渡って高城氏がこの地を治めました。
後に高城氏は関東に勢力を誇った北条氏の配下となります。
北条氏の勢力圏になったことが、城郭としても歴史的にもターニングポイントになります。
小金城の最寄駅は流鉄流山線 小金城趾駅となります。
ワタクシは武蔵野線でJR新松戸駅から歩いて向かいました。
現在の小金城は宅地開発によって、ほとんどの遺構が失われていますが、大谷口歴史公園に遺構が残っていると情報を得ていましたので、最終到着地を大谷口歴史公園としました。
寄り道をせず進めば、歩いて20分〜30分ほどで到着できると思います。
小金城は川や自然地形の縁(へり)を巧みに生かした平山城で、城郭の南側から西側あたりを流れる新坂川沿いを歩いて向かいました。
左側には新坂川が流れ、右側には流山線が走っています。
長閑な景色の中を歩くのはとても気持ちが良く、新松戸駅から多少離れていますが、全く苦になることがありませんでした。
まずは城郭跡となる大谷口より登城開始です。
とはいえ、ほぼ住宅地になっています。
しかし、当時の城郭形状が残っているのが小金城のポイントです。
城跡に掲示されている縄張り図。
幾つかのポイントに絞って周っていきます。
大谷口馬屋敷緑地という広場があります。
普通の広場のようですが、右側の森はおそらく台地の縁になっており、切岸のようになっています。
広場の道路には土塁があり、おそらく現在の道路は堀だったのではないかと想像できます。
公園整備によって盛られた可能性もありますが、この辺りは城の西側外郭あたりになるので、何かしらの防衛設備はあったと思います。
大谷口馬屋敷緑地の道を挟んで向かいにも森がありますが、私有地によりフェンスがあって立ち入ることはできません。
しかし、フェンスの奥には横堀のようなものが確認できます。
大谷口の坂を登り切ると神明神社があります。
この一帯では1番高い場所に位置しています。
当然この場所も元は城郭の一部で、小金城が廃城となり江戸時代の1676年に神明神社は創建されました。
神明神社の前から見た一般道の坂道。
この土地の起伏こそが城郭の名残といえます。
Googleマップでは、このあたりが小金城中心地とでています。縄張り図的には馬屋敷にあたります。
神明神社から南の方へ歩くと、交差点に城跡の石碑があります。
縄張り的には南西の本城という曲輪あたりになります。石碑の前には本城公園という名の付いた小さな公園があります。
この本城跡と、隣接する内城跡が小金城の主郭だったようです。
近年までは残っており、土塁などの遺構もあったようですが、今は宅地開発によって失われています。
続いて、本城跡から1番遺構が残る大谷口歴史公園に向かったのですが、途中で怪しい森を発見。
フェンス越しに見ると横堀のようなものが確認できるので、よく見えるポイントがないか近くを徘徊。
周辺は住宅地なので、明らかに怪しげな人物であったことは間違いありません。
なんとフェンスの1箇所だけ小さな開口がありました。この開口を見つけた時は嬉しくて、心の中でガッツポーズでした。
入口には解説板もあります。
この場所は私有地でしたが、ワタクシが生まれた1986年に松戸市教育委員会に寄贈された事で、一般開放に至っています。
解説板の脇から森の内部に潜入することができます。
ここだけが完全に別世界となっています!
堀切のように土塁が分断されています。
かなり高さのある土塁で迫力があり素晴らしい!
上に登ることができるので、この一画を存分に楽しみます。
深さは10mはありそうです。
寄贈された土地ということもあり、開発を免れたのでしょうか。
狭い範囲ではありますが大切に保管されています。
続いて大谷口歴史公園に移動します。
大谷口歴史公園は当時の縄張りですと番場に位置します。
虎口門の先にある曲輪。
斜面に人工的に土を盛って造られたことが分かっています。何かしらの防衛施設であった考えられます。
曲輪の周りを歩くと竪堀のような斜面に沿った窪みもあります。
上からは良い写真が撮れなかったので、一度下に降りて写真撮影しましたが、やはり下から撮っても分からないですね。
虎口門の曲輪の先には北条氏の城郭特徴でもある、畝堀が復元されています。
発掘調査で、堀底には高さ90cmの畝が連続して設けられていることが発見されています。
これこそが北条築城術!
説明板には発掘調査時の写真もあります。
1996年の復元当時は、畝もあったようですが現在は埋もれて見えなくなっています。
畝堀の先にある左側に土塁があり、より幅の広い横堀になっているように見えます。
北条氏の配下になったことで、小金城は北条氏の築城術が取り入れられていると思われます。
しかし、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐によって、小金城は浅野長政らによって攻撃を受け、落城・開城して、その後廃城となりました。
畝堀のある曲輪から、さらに階段を上がることができます。
階段の上は広場となっており、番場という曲輪でした。
L字型に土塁が設けられており、防衛機能を高めています。
土塁の上から見た畝堀。
先ほど写真撮影した曲輪も見渡すことができ、攻撃しやすい設計です。
金杉口の反対側には障子堀が復元されています。
こちらも経年によって畝の部分が埋もれてしまっています。
発掘調査をした上で宅地開発が行われ、新たに遺構が発見されても市街地化が進み、消失した城は全国に多くあります。
小金城もその一つですが、この大谷口歴史公園と達磨口の僅かな遺構が残されたことで、小金城は今でも生き続けています。
大谷口歴史公園と住宅地の境目。
城郭であった形状が何となく生かされているのが分かります。
歴史公園の近くには番場公園があり、小さくもこの地が番場という曲輪で、城の一部であったことを名称で残しています。
当時の城郭範囲内は、ほぼ住宅が立ち並んでいますが、ダンジョンになっていて初めて行く人は方向感覚が失われます。
ワタクシもどこを歩いてるのか分からなくなり、何度もGoogleマップで検索しながら歩きました。
大谷口歴史公園から常真寺方面を目指すと、急な坂になっています。
絵図で見るとこの辺りは中郷という曲輪の境目くらいにあたると思われます。
坂には縁と思われる一部が残っています。
常真寺の前から撮った写真。
かなり高低差のある形状をしているのが分かります。
常真寺は小金城の南にあたる場所に位置しており、この高低差が城郭の端部となります。
およそ2時間半ほど歩き、周れる範囲で歩き尽くしました。
遺構という遺構は、ほぼ失われていると言っても過言ではない城跡ですが、この地が巨大城郭であった片鱗は確実に残っています。
住宅地の中に眠る遺構の面影を感じながら歩くのも楽しいと思います。
近くには根木内城という城跡があり、小金城主であった高城氏が、小金城の前に居城とした城が僅かに残っているようです。
今後、そちらも攻めてみたいと思います。



























































































































































































