11月8日 0時48分

「しまった!寝坊した」

ロブチェBC(ベースキャンプ)より更に二時間ほど上にあるハイキャンプ(標高5200m)。前夜20時前にはシュラフに入ったが興奮してなかなか寝付けなかった。寝たら高山病が襲ってくるという恐怖心も安眠を妨げているのかもしれない。

前夜のガイドを交えたミーティングで、ピークを目指す者0:00起床1:30出発とし、起きてこない者はリタイアと見なすと決めていた。

キッチンテントからはコックが朝食を作る音とガイドの声が聞こえてくる。冷静に思考を巡らせる。出発まで40分。テントやシュラフの撤収は下山後に回すとすると充分間に合う。それにメンバーの三人も未だシュラフに包まれていた。


(ハイキャンプの湖面に映るロブチェ)

メンバーの藤岡は5日のディボチェ(3800m)で既に高度障害の兆候が見られ、6日のディンボチェ(4300m)で限界を迎えていた。

今回の山行が自分にとって如何に厳しいものなのか。それは藤岡自身が最も自覚していた。夏の合同トレ(中央アルプス縦走)時にそれを悟った藤岡からは内密に相談を受けていた。

「自分にはピークは無理。でもメンバーの士気が下がるから内緒にしてほしい」
IT企業の経営者でもある藤岡ならではの配慮だ。

藤岡はお世辞にも身体能力が高いとは言えない。はっきり言うとかなりどんくさい部類に入るから山ではいつも僕に怒鳴られっぱなし。完走率が9割を越えるサハラマラソンでも一度リタイアを経験している。

しかしながらサハラマラソンは2年目にリベンジ成功、登山経験がないにも関わらず今回の遠征に一番乗りで参加表明するなどチャレンジ精神とガッツは素晴らしいものがある。


(ハイキャンプに辿り着いたボロボロの藤岡)

「ならキャンプまでは行こう!」

ピークを断念していた藤岡と交わした約束だ。

ベースキャンプ(標高4800m)を過ぎた辺りから、ただでさえ遅い藤岡の足が更に鈍り始めた。業を煮やしたガイドは「トクラの町まで下ろそう」と提案してきた。ハイキャンプまで僅か200mの岩盤に長い影が映る。

僕はザイルの先にカラビナを括り藤岡の頭上に放り投げた。想いを察したガイドのペンバがすかさず藤岡の下に駆け寄りビナをハーネスに繋げ、藤岡のザックを担いだ。

標高5000mでの綱引き大会。引く方も引かれる方も想像を絶するほど苦しかった。後に藤岡は「生涯で最も苦しかった」と語っている。

ともかく、目標は果たした。
目に涙が浮かんだ。


(ハイキャンプ。緑のテントはキッチン)

最年少の水村は寝坊して慌てふためいている僕の横で目を覚まし、同じく慌てて準備を始めた。

二十歳台前半の水村。合同トレに参加しないなど事前準備に対する甘さが気になったが、若さと長けた身体能力でもしや何とかなるのでは?と未知の可能性を感じていた。彼の若者らしからぬ冷静な一面も期待値を高めた。


(ルクラでネパールヘアに散髪する水村)

彼もまたサハラマラソン、トランスロッキーのフィニッシャーではあるが、水村が最も注意すべきは、若さ故、身体能力が高い故に陥る行動=瞬間的に心拍を上げるような行動だ。これについては自分にも当てはまる節があるので良く解るが、意外と難しい。牛歩が基本の高所登山において短距離インターバル走の様な負荷をかけると致命傷になりかねない。


(反対の丘から望むアマダブラム)

6日、ディンボチェ(4300m)には午後の早い時間に到着した。

既に高度障害が出ていた藤岡はセオリーに反して昼寝をさせた。高山病は睡眠時に襲ってくるから原則昼寝は厳禁なのだが、寝て起きてガッツで行動を開始すれば復活し、更には一泊相等の高度順応も進んでいるという自身の経験則に基づく指示だ。成功したら御の字だし、昼寝してダメなら長い夜を耐えなくても夕方中に引き返して標高を下げれば良い。

藤岡を休ませている間、調子良さげな水村と荒井を連れて高度順応を兼ねた散歩にでかけた。町の外れから少し標高を上げるべく北側の斜面に取りついた。獣道程度の薄い踏み跡だけの道なき道。みちが無いから薄い沢筋を巻く感じで慎重にルートを探す必要がある。

この斜面に取り付く所で水村が遅れ始めた。表情も良くなかったので先に宿に帰るよう指示を出した。


(高度順応トレ中の荒井、この丘の上まで登った)

ところが僕らが宿に戻ってかなり時間が経っても水村の姿が見当たらない。どうやら僕らの後を追いかけてきたらしい。登山初心者の彼が道なき道を行くのはさぞ難しいだろうし、無理な負荷をかけてしまっていないか心配になった。そしてその夜、嫌な予感は的中、高度障害に苦しみ、座って眠る水村の姿を目にする事になる。

一方昼寝から覚めた藤岡は案の定高度障害が悪化してボロボロになっていたが、ここで気合い入れて行動すると楽になるという自身の経験に基づき「散歩してこい!」と心を鬼にする。するとみるみる顔色が良くなり食べられる様になり、夜にはみんなでトランプを楽しめるまでに復活した。


(ユマーリングと下降の練習を重ねた)

翌7日、4人揃ってディボチェの町を後にした。朝にレンタル装備のチェックとシミュレーションを行い全員がアタック装備でベースキャンプに向かった。それぞれ調子は悪くなさそうだった。

水村の足取りは軽快に見えた。ピョンピョンとステップを踏んでは時折立ち止まり景色を楽しんでいるように見えた。

しかし5000mあたりで急に足が止まってしまった。遥か後方から藤岡を引き揚げながら登ってきた僕が追い付いてしまうほどの失速だった。


(ゴーグルで涙を隠す水村。ハイキャンプ到着時)

慌ただしく着替えを済ませ、キッチンでミルクティと朝食を済ませた僕は水村のテントを覗く。行くか行かまいか。死ぬほど迷っただろう。そして彼は行かない道を選んだ。テントの前には嘔吐物が凍って光っていた。


(ロブチェのお向かい、タワチェとチョラチェ)

荒井もまた登山経験が無いが、今回のパーティでは最も期待値が高いメンバーだったし本人にもその旨を伝えていた。

サハラマラソンとゴビデザートマラソンで寝食を共にした仲間で、来年春は三度目のサハラマラソン出場を決めている。日頃からマラソン大会にも出ており体力、体格は申し分なく、中央アルプス縦走、富士山トレも問題なし、自身で富士山頂小屋や三浦雄一郎氏の低酸素施設に通うなどそれなりの準備を進めてきた。


(富士山高度順応トレ@3泊)

序盤に脹ら脛に違和感を訴えたがこれもプラス要因。脚を庇って心拍を上げずに行けば良いと見ていた。6日に4650mまで登った高度順応散歩でも何ら問題はなかったし、その夜も高度障害の兆候は全く見られなかった。


(5000m付近の荒井とペンバ)

ところが彼もまた水村と同じく5000mを境に体調が急変、綱引き状態の僕と藤岡に追い付かれてしまう程の失速。昼には元気にランチしてたのに、あまりにもの突然異変に驚かされた。



登山前には火を焚き、米を焼いて祈りを捧げる。そんな儀式をしながら、あるいは荒井がひょっこりと現れるのではないかと期待したが彼はついに姿を見せなかった。

深夜2時半、ペンバに三人を任せ一人ロブチェに挑んだ。暗闇の中スラブ状の岩盤をひたすら上る。標高5600mで嫌な感じのトラバースをしてからアイゼンを装着。後はフィックスロープにアッセンダーをセットしひたすら登るのみ。もちろん下りはひたすら懸垂下降となる。


(山頂から下降するところ)

ともかくピークは踏んだ。



山頂から眺めるエベレストは手に届く様な所にあるように思えた。いつかは登るんだろなと運命を感じた。もう道は開かれ一歩を踏み出してるから必然なのだろうけど。



でも今回の山行で僕を虜にした山はこれ。

まるで槍ヶ岳の如くエベレスト街道の中心に位置する尖った山。ナムチェからずーっとエベレスト街道のシンボルの様に見え続けるアマダブラム。先ずはこいつをやっつけて、次に7000m峰と丁寧にステップを踏んで行きたいと思う。