災害続の連続で心身共にくたびれている今日このごろ。
先の高槻地震では本社ビルの地盤が緩み風が吹いたり大型トレーラーが通る度に揺れる状況で耐震補強や移転を検討する最中に台風の直撃。
資材置き場の外壁は崩壊し
本社もまあまあな被害を被りました。
地震の時も台風の時も大規模な停電があったので被災しつつも患者様の安否確認及び酸素ボンベの緊急配送に努めました。
6日午前。大阪ではなお停電が解消されてない中、今回の北海道地震が発生。本社倉庫の瓦礫満載のキャラバンを空にして緊急出動に備えました。
6日昼。停電が解消見込みがない日高・浦河地域より緊急支援要請を受けました。北海道電力に確認したところ計画停電含め一週間は電力の回復は見込めないとの事なので、出動の準備を開始しました。
自家発電で酸素供給を続けている老人施設からは燃料、完全に停電している施設、在宅の患者様からは発電機と酸素ボンベの要請を受けました。
しかしながら大阪での台風被害で発電機や緊急用酸素ボンベのストックが底をついており十分な資材が揃わない状況。即座にFacebookで仲間たちに資材提供を呼び掛けると共に、酸素業者にボンベの貸与を以来しました。
また当社が積極的に取り組んでいる離島・僻地の在宅医療で奄美群島の台風停電対策用に備蓄した酸素ボンベも北海道に移送する決断をしました。
6日夕刻には高槻本社に続々と支援物資が集まりました。先の台風で救急搬送された同級生も駆けつけてくれて発電機を整備してくれました。
6日19:30高槻出発。途中移動動線のSAなどにたくさんの仲間が発電機や携行缶を届けてくれました。7日01:00東京営業所でボンベ100本と営業所に持ち込んでくれた発電機を積載。一路北海道を目指します。
移動距離1700km。平時なら何とかなる距離ですが台風被害の対策で疲労がたまった身体には厳しい道のり。
幸いに友人が茨城からの運転を引き受けてくれたことで深夜3時から朝まで車内で爆睡することができました。
港に着くとテレビの取材を受けることになり、そのまま記者と浦川町へ急ぎます。崩壊家屋など一次被害の報道が目立つ中、災害時の医療問題に着目していただけるというのは望ましい限りです。北海道のみならず先の東日本震災時も熊本の時も、大阪地震、台風の折も計画停電時における医療施設、老人施設への電力供給を優先を働きかけていましたが一個人、一企業の声はなかなか聞き届けられませんでした。
7日23:00浦川町到着。不幸中の幸い、我々の到着直前に町の電力が復旧しました。診療所では遅い時間まで我々の到着を待ってくれていた医療スタッフの暖かい労いのお言葉をいただきました。
「向かって来てくれているという安心感はとても大きかった」
取り越し苦労と言えばそれまでですが、このような場合は取り越し苦労で済むに越したことはありません。もし電力復旧が遅れたならば夜を徹して発電作業と酸素ボンベの配送に努める予定でしたが・・・
営業を再開した地元ビジネスホテルで一時の休息を頂戴しました。不埒ですみません。
翌朝から各施設と在宅で空になったボンベの交換に回ります。もう余震、本震による停電は無いことを祈りつつ。
日高地域の支援を終えた後、まだ支援物資にゆとりがあったので、依然停電が続いている震源近くのむかわ町のフォローに向かいました。
役場の福祉課でお役にたてる事はないかと訪ねたところ、既に在宅患者のほとんどは避難入院が済んでおり2名のみが不明との事でした。人口が少ないとは言え凄い対応力に驚きました。
微力ながら安否不明の患者様の自宅に向かいましたが、既に避難されていたので一安心。そうこうしている間にむかわ町、厚真町でもほとんどの地域で電力が復旧したとの情報を得ました。
被災されたかた、お亡くなりになられたかたやそのご家族には心よりお見舞い申し上げます。我々の今回の行動は大きなお役に立てませんでしたが、この程度で済んだのは不幸中の幸いだと思います。
被災地での長居は無用なので今は既に帰路についております。これからの台風シーズン。奄美群島用の資材も動員しているので一刻も早く本社に戻りたいと思います。
ご協力くださいました酸素業者の皆様、発電機や携行缶を持ち寄ってくださいました仲間たち、また義援金などお心遣いをお申し出下さった皆様、暖かいメッセージをいただいた皆様に心より感謝の意を表します。














