「ノート」
ノートを持つ手が震えていた。彼女が十数冊のノートに書き記した日々の想いが彼女の声や体温を伴って鮮やかに目の前に蘇ってきた。入院中、身体の具合が特に優れないときや、どうしても気分が落ち込むとき、出来れば僕に会いたく無かったこと。それでも、僕が面会に来ることで結果的にどれだけ救われていたかということ。また、大きな手術の前後など、本当に側にいて欲しいときに僕が面会に来られないことがどれほど辛く寂しかったか、などといったことが、彼女の丸くて可愛らしい字でぎっしりと書き込まれていた。
彼女の葬式のあと、両親が揃って僕にそのノートを渡しに来てくれた。そのノートを読んでいると、娘の中でどれほど僕が大きな存在になっていたか、よく分かった、そう言って手渡してくれた。ページの何箇所もが涙で滲んでいたのが、彼女の涙なのか、それとも両親のものなのか判別がつかなかった。
あれから十数年が経ち、家庭を持った今でも、書斎の奥に彼女のノートは大切に取ってある。あの頃僕が全部を懸けて愛した女性がいたという記憶と共に、そのノートも眠っている。