● 姿勢と人格
こんにちは、山崎です。
今月から、セラピスト講座や和身塾などのスクールが始まっていますが、数日間受講していただくと、「身体って面白いなぁ」と実感されている人と、自己嫌悪に陥っている人がいるかもしれません。
また、両方が混じった状態かもしれませんが、身体の持つ可能性に(少しは)気付かれたと思うので、後退する気持ちよりも前進する気持ちを大切にしてもらいたいと思います。
昨日は仲間らの『姿勢』が変わる瞬間を目の当たりにされたはずです。
「あれ?この人やたら姿勢が良くなった」と、目の前で姿勢が変わっていく人を見て、
「私も変わりたいな」
「自分の顧客にも変わってもらいたいな」
と思われたはずです。
現在は、退行意識と好奇心が重なり合った状態だと思いますが、それでも好奇心を大切にして、変化を遂げる側の人間であって欲しいと中年のおじさんは願っています。
人が変化を遂げようと新たな行動を起こしても、人間の身体には『ホメオスタシス』という機能が備わっているので、残念ながら元の自分に戻ろうとするのは自然の法則。
しかし、人間にはストレスに『適応』する能力も備わっているので、元の自分を乗り越えて、「あんな風になりたい」という理想像に近付くことも可能です。これも、人間に備わった面白い機能の一つですね。
魚が魚のままでいるのか、両生類、爬虫類、哺乳類、人類へと進化したように、進化への道を歩むか否かは、その人の判断に委ねられますが、『進化の前』には必ずストレスが付き物。
進化のためにはストレスは避けられないと諦めて、ストレスと向き合う側の人になってもらいたいと思います。
そうして、ストレスを踏まえて乗り越えてきた人間の発言は、無責任なポジティブではなく、「責任あるポジティブを備えた人だ」として、周りの人たちからも認識されることでしょうし、他者にも身体には可能性があることを気付かせる存在になれるはずです。
誰でも(僕でも)ストレスは避けたいものと思います。とは言え、前述のように、進化の過程ではストレスは避けて通れない道であるのも事実です。
腰痛だからと言って、マッサージを受け、整体で骨の歪みを整えて、身体が一時的に楽になったとしても、それらは自力で踏まえて乗り越えたというプロセスがありません。
身体に生理的変化は訪れたとしても、頭の中は腰痛になる人の思考(意識)のまま。人間的には全く成長を遂げない状態で痛みが緩和したとしても、また別の問題が発生してしまいます。
その度に、「誰かに頼って機械的に改善してもらう」という依存的態度のまま、一生を過ごすという人生に対する姿勢は個人的に好きではありません。
ですから、僕は自分のクライアントが依存的態度のまま人生を歩まれないよう、自力で改善する術を身に付け、『卒業』してもらうための道筋を提示できるように工夫しています。
姿勢に対する追記です。
昨日、生徒さんに「感じていない顔をしている」と指摘してしまいました。
思わず(無意識的に)言葉が飛び出したのですが、後から先ほど指摘した顔(表情)をざっくり整理してみると、感性の高い顔、何も感じていないボーッとした顔、理屈でモノを考えている顔というものがあるのかと思いました。
僕は自分の姿勢が理想とギャップがあるので、姿勢を修正するために相当強い(顔が歪むぐらいの)意識を入力しています。
何故なら、相当強い意識を身体に入れなければ、身体を感じることができず、元の怠惰な姿勢に戻ってしまうからです。
ボーッとしたままで、何の意識も入力しなかったら、いつもの(姿勢の)癖が出現してしまって理想とは程遠い姿勢のままになってしまうので、強い意識を持つことと身体をゆるめることは同時に行うべきことなのです。
※それでも、理想からは程遠いままですが(苦笑)
身体からそういう事実が分かると、人格に於ける『優しさ』『厳しさ』とは何だろうと考えます。
「優しいだけというのは、あり得ないなぁ」と。
施術で「ゆるめるだけ」というのもあり得なくて、ゆるめるだけの施術は、単に『依存』を生み出しているだけなのかと思います。
とは言え、交感神経と副交感神経を交互に入力する、また活動と休養を入れるという単純に分割できるものでもないので、如何に『表裏一体化』させるかが、健康体へ導くカギなのでしょう。