原発反対派と容認派は、論点がズレているので議論にならない | 日常の中の非日常

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タイトルを変えてみた。
仕事のことなんかも書いてみたり。

いろんなのをネットで目にするにつれ、表題のことを思ったので書いてみる。両者とも、そもそもの論点が完全に違っていて、両者の言い分はねじれの位置にあるので、議論が噛み合うわけがないなぁ、と感じているのです。

ちなみに僕は『再稼働容認』です。だって、この気温でエアコン使わないとか、ムリでしょ。だったら電力には余裕があったほうがいい。

だからと言って、原発は今後もドンドン作るべき、とか考えてないし、ゆるやかに脱原発が出来るのが一番いいんじゃないかとも思うし、でも研究は続けるべき、結果として、かなりの安全が確保できる原子力発電が可能になればそれがベスト、とも思う。

で、きっかけはコレを見たこと。ちょっと前のまとめなんだけど。

電力供給に余裕がない事を全く理解しようとしない反原発派の方々との会話

コレを読んで、まあどっちに味方するとかそういう話はないんだけど、最初から完全に論点が噛み合ってないので、議論になるわきゃねぇわな、としか思えないのだ。

原発再稼働容認派の主張は以下。

・この猛暑で電力には余裕がない
・国民が我慢をしてエアコンを付けないことによる電力供給の担保は、逆に危険
 (熱中症の被害が発生する恐れ、など)
・まずは電力の確保が最優先
・計画停電=企業の弱体化、経済回復に対するダメージとなる

原発再稼働ふざけるな派の主張は以下のとおり。
(『原発反対派』ではなく『再稼働ふざけるな派』としたのは、再稼働容認派の中にも「中長期的には原発はなくすべき=反対派だが、短期的には電力の確保のため止むを得ない」という人が存在するだろう、と考えたため)

・原発は存在すべきではない
・まず原発を止める、それが最優先
・再稼働?とんでもない。全ての原発を稼働させてはならない
・国民全員が我慢すれば電力不足なんて乗り切れる

ざっと要約するとこういうことだと思うのだが。

容認派は「現実問題としてどうしようもないよね」という現実論からの意見がほとんど。企業体力や経済回復のため、という面もあるし、単に「エアコン無しじゃこの猛暑は乗り切れないでしょ」ということもある。

一方でふざけるな派は、一にも二にも「原発は全て停止、稼働まかりならん」というところがスタート地点となっており、そこが満たされない限りどんな意見もリジェクトしている。感情的になっている、と言ってもいいかもしれない。

どちらが良い悪い、って話は特にするつもりはなく、この時点でもう噛み合うわけがない、ってのがよく分かるよね。特に問題となるのが、ふざけるな派が完全に容認派の意見を聞こうとしていないってところだとは思うが。

そこは確固たる意志と決意があっての主張だから、それがダメだとは言わない。どうあってもそれが正しいと思い込んでいれば、それ以外の意見は耳に入らなくなる、ってのは人間誰しもある話だろうし。

お互いにやはりもう少し歩み寄る部分は必要かな、と思う。で、どちらかと言うと、やっぱりふざけるな派が歩み寄りを大きくしないといけないんじゃないかなーと。

容認派はある程度の「電力に余裕が無い」データは出している。で、まず電力に余裕が無いこの夏を乗り切った後でどうして行くのか、反対派とどうやって折り合いをつけていくのか、今後の日本の電力方針をどうするのか、という、中長期的なプランニングを出していくべきかな、と思う。まあそれを出すのは政治家の仕事でしょ、とかって話もあるかも知れないけど、でもそういうのがないと「暫定的に再稼働」したのが、当たり前のことになるから。それは避けないといけないんじゃないかな。

あと、容認派は「では原発の代替手段たる電力供給手段は?」的な話を金科玉条のように言わないほうがいいかな、と。それは事実なんだが、事実であるがゆえに思考停止ワードになっている気がする。「原発に変わる即戦力がないから原発しかない」ってのは短絡的過ぎないか?もう少しちゃんと考えて議論すべきではなかろうか。例えば北九州では風車を設置して、電気の生産に乗り出していたりする。そういうことがあるのも考えつつ、どうなれば原発なしでいけるのか、ということも出しておくべきかな、と。

で、ふざけるな派は、まず第一に「どうやったら電力に余裕が無い状態を原発なしで実現するのか」をデータで示すことが重要かと。そうしないと説得力がなさすぎる。頑張ればなんとかなる、って精神論で電力が増えれば世話ないわけで。

最悪は「昔はエアコンなんてなかった、夏は汗をかいて過ごした」とかって昔の話を持ち出すことね。環境が全く違って、平均気温も上がってるんだから、そんなことを言うのはナンセンス。だったら車もパソコンも色んなモノをなくした上で言うべき話で。

それからやっちゃいけないことは「国民に我慢を強いること」を当然の話として出すこと。これもナンセンス。我慢しなくてはいけない、ってことは、どこかに無理があるんだから。我慢しなくてはいけないのであれば、我慢しなくてはいけないだけの理由と根拠を示すべき。それもデータで。それがないと説得力ゼロです。

あと、感情論で物事を伝えるのはNGだと思う。感情論になると、そこで議論にならなくなる。放射能がどれだけの影響を与えるのか、本当の意味で人間は分かっていない。結局そこは知ったかぶりにならざるを得ない部分ってあると思うのよ。だって、十数年前までは放射線が出てる温泉が「健康にいい」って言われてたわけだし。

そして両者ともに思うのが、今の科学技術だけで議論し過ぎかな、と。いや、もちろん、見えるのは今の技術だけなので、話の立脚点は現在の科学技術にならざるを得ない。だけど、科学技術は常に進歩してるし進化してる。人間は今までわからなかったことを解明し、不可能だったことを可能にしてきた。それをどこに向けるか、という話。原発であるとか、核廃棄物の有効利用や安全な処理を実現するための技術を進歩させていくのか、いわゆる再生可能エネルギーやクリーンエネルギーの効率を上げて実用的なものにする方向に技術を進歩させるのか。

そういう前向きな話も持っていかないと、相手を叩くだけで終わっちゃうんじゃないか、と。

で、僕の考えだが、これは両方必要だと思うのだ。今後は再生可能エネルギーをドンドン普及させて、効率化していく、そして実用レベルに持っていくってことは、大事だろう。例え、原発が稼働し続けたとしても、代替手段を持っておくことはプラスになってもマイナスになることはないし、今後はさらに電力を必要とする社会になるかもしれない。また、スマートシティプロジェクトってのを実現させるためには、こういうものが必要になるかもしれない。そういう意味で、再生可能エネルギーの研究は進めなくてはいけない。

一方で、核廃棄物ってのは今そこにある問題なわけで、全ての原発を廃炉にした所で必ず発生する問題でもある。それを解決する方法ってのは必要になってくる。また、今後の効率的なエネルギーの確保、今後出てくるであろう化石燃料の枯渇の問題なども考えていくと、原子力発電を手段として持っておくことはプラスの効果は十分にある。

で、これらの技術を進歩させるためには、これらの技術が最先端でないといけない。最先端であるとか、実際に必要性があるとか、未知のものであるとか、そういうものでないと、技術ってのは進歩しないし進化しない。これは厳然たる事実。

例えば原発を全て止めて再稼働をやらない、って決めた時点で、核廃棄物の処理方法は埋めるか飛ばすかしかなくなる。そんなんでいいの?ってことだ。

だから僕は、両方ともやっていくべきだと思うし、両方とも進歩させるべきだと思う。そして中長期的には、火力発電こそ減らすべきなんじゃないかな。CO2による温暖化問題とかもあるわけだし。

まあ結論としては、だ。どっちも自分の意見に固執しすぎんじゃねぇよ、ってことです。
自分の意見を正しいと思い込み、固執すればするほど、感情論につながる。感情論で行う議論ほど、不毛なものはないのです。そこには建設的な結論はないのだから。

原発反対派の議員先生は、もっと味方をたくさん作って、議員立法でも目指してくださいよ。議論はそれからだ。みずほごときが「止めるぞ!」なんて吠えても、力がなかったら無意味だ。

そんなふうに思ってます。異論は認めます。

かなり長くなったけど、やっぱりちゃんとまとまってへんな。。。この辺に自分の限界を感じる。。