Appleはバルサで、Microsoftはレアルだ | 日常の中の非日常

日常の中の非日常

タイトルを変えてみた。
仕事のことなんかも書いてみたり。

MacBook Airを使い始めて何日?月曜の晩に入手してからだから、実質は火曜からで5日間か。その間、仕事でも使ったりして、結構しっかりと触った気がする。

Macを触って、Winとかなり違う所で戸惑うことも多い。ショートカットはMacがWinに合わせたのだろう、色々と同じようなものがあって、助かってる。でもやっぱり違うことが多いし、トラックパッドでは二本指でスクロールできるんだけど、この上下の動かし方がWinと逆なんだよね。そこがけっこう戸惑った。

Winでは指を下に動かすと画面も下にスクロールするけど、Macでは下に動かすと上にスクロールするんだよね。画面を紙と考えて、それをつまんで上に指を持って行く、というふうに考えると、画面が下にスクロールするってのは理解できる。だからMacはこの動きを「ナチュラル」と記載してんだろうなーってのも思う。iPadやiPhoneもそうだしね。

Winに慣れてるから、どうしても指を下に動かす=画面が下にスクロール、ってのに慣れちゃって戸惑うが、最初にMacを触ってたら、こっちのほうがもっと馴染んでたのかもしれん。

で、色々と触ってて、iPadやiPhoneと一緒に使って、更に今日無料のワークショップに参加してみて、感じたことがある。

Macには『哲学』がある。

正確にはAppleの製品には、かな。

触れば触るほど、Cloudを使って製品をトータルで使いやすくしていることがホンマによく分かる。設定さえしておけば、MacのデータをiPadからリアルタイムに参照できるし、iPhoneで入れたリマインダー(ToDo)の時間になったらMac上で通知されるし。この辺は、どこから触っても同じように使えることを意識しているのは間違いない。

更にMacだけをとってみても、デスクトップがいくつも簡単に作られて、全画面表示しててもそれを簡単にいくつも参照することができるし、インストールされているアプリを参照するのも簡単、データが迷子になりにくい、などなど、非常に使い勝手が考えられたものになっていると思う。

これは、iPhoneを初めて触った時も感じたんだが、初心者にはすごく使いやすいものだなぁ、と感じる。逆の言い方をすれば、自由度が低いとも言える。自分で好き勝手に使いたい、カスタマイズしたい、改造をしたい、そういった考えを持った、ある程度の技術力のある人にとっては、逆に使いづらいかもしれない。

僕は今では何も考えなくても良い、Cloudで使いやすい、などの理由から、iPhoneやiPadを気に入って使っているが、当初はその自由度の低さから、Androidのほうが好きだった。まああまりにも操作性やレスポンスが悪すぎて、話にならないところも多々あったけど。でもAndroidの一番いい所は、あの自由度の高さだと思うんだよね。かなり好き勝手できるから。

そのAppleが考える使い勝手や操作性、システム統合などの考えは、やっぱり『哲学』だと思うんだよね。まあAppleではなく、『Steve Jobsの哲学』なのかもしれないけど。いずれにせよ、そこには『哲学』がある。

それは、サッカーのFCバルセロナと同じだなぁ、と思ったのよ。ちょっと突飛だけど。

バルサも哲学があり、それが一番大事にされている。だからどれだけいい選手でも、その哲学にマッチしない選手はバルサで輝けない。あのイブラヒモビッチですら、バルサでは輝けなかった。それは、高い技術力を持った技術者が、時にMacを嫌ってしまうように(かなり無理矢理こじつけてます)。

一方、Microsoftはそうではなく、如何にしてデファクト・スタンダードの地位を得るか、というところに注力していった。そのため、自分たちの哲学などを考えず、自分たちの製品をPCメーカーにバラまき、バンドルした製品をドンドン出してもらった。そうすることで、IBMやHPや今はなきCompaq、日本ではNECや富士通などの大手に取り扱ってもらい、そのシェアを伸ばしていった。

そこに哲学はなく、とにかく巨大化するために手を広げていった。それはバルサのライバル、レアル・マドリーが勝つために選手をガンガン集めていったのにも通じるものがある(無理矢理にも程がある)。

一時期、Jobsが追い出された時に、Appleが潰れる寸前にまで落ち込み、Microsoftが我が世の春を謳歌していた時期がある。2000年くらいまではそうだったかなぁ、と。そこが銀河系軍団と呼ばれたときのレアルと当時のバルサを彷彿とさせる。

バルサからヨハン・クライフというカリスマが抜け、哲学を見失っていた時代、レアルはそれが自分たちの存在意義であるかのように、優れた選手をかき集めて、銀河系軍団(Los Galácticos)と呼ばれるチームを作った。下品だったが、確かに強かった(最初のうちは)。結果、チャンピオンズリーグでは歴代最多の9回の優勝を果たすまでになる。

一方バルサはクライフが抜けたあとは迷走を続け、レアルの後塵を拝する時期が続く(と言っても数年だけど)。

それからバルサは自分たちの哲学を思い出し、そこに戻ったのがライカールト時代。そこでバルサはバルサを取り戻した。一方で我が世の春を謳歌していたはずのレアルは、その巨大化戦略が迷走につながり、バルサとはその立場を逆転させる。

この一連の流れが、AppleとMicrosoftの関係に似てんじゃね?と無理矢理感じたわけだ。

バルサがその哲学を取り戻してバルサに戻ったように、AppleもJobsの復活に伴い、Appleの哲学を取り戻して復活した。そのある種傲慢なまでの哲学の押し付けがコンシューマに評価され、受け入れられ、一気にその立場を回復させていく。

一方Microsoftは巨大化して手を広げ、自分たちがコントロールしきれない部分を増やしていくのに伴い、全てが中途半端になっていく。結果として、Appleの後塵を拝するようになる。

現時点ではWindowsとMacintoshでは、Macのほうがはるかに前を行っているだろう。MacとWinのPC対決、として考えたときはそれほどでもないかもしれないが、モバイルも含めて考えた時、その差は決定的なものになっている(現状は)。

そんな風に無理矢理こじつけてみました。これ以上の話は特にありません。今後の話まで進めると、Jobsの穴を誰が埋めんの?とかってあちこちで言われてる話になって面白くなくなるので、このこじつけた話が(少なくとも僕の中では)そこそこ綺麗にまとまったところで終わらせておきます。

異論は認める。

え?じゃあサムソンはどうなるのかって?

さあ?マンチェスター・シティとか?ユナイテッドとかにはしたくないなぁ。。ユナイテッドに失礼な気が。。サムソンも大概下品やから、やっぱり同じく下品なシティかなぁ。。あ、PSGでもいいかも。。

すげぇ無駄に長くなった。。