自分の頭で考えるということ | 日常の中の非日常

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タイトルを変えてみた。
仕事のことなんかも書いてみたり。

最近、自分の頭で考えている人間が減っているように感じる。

多分、ネット上でそういう人間が目立つことが多いからなんだと思うんだが、どうしても目につくことが多い。

例えばこんなのとか。

LINEで拡散中の「死んだ人のIDは詐欺会社のIDだ」という注意喚起について ~情報科学屋さんを目指す人のメモ

こんなのは典型で、TwitterやFacebook、ブログなどで書かれた内容をそのまま信じて、変なふうに拡散する人が多いらしい。

そのまんまで流すならまだしも、変なふうに解釈して拡散するケースがあるから、更におかしなことになっちゃう。

嫌韓の内容なんかもそうだし、放射能の話やら福島のこと、その他の各種デマだったり噂だったり、信じる人が後を絶たないネタってのは非常に多い。

だからTwitterなんかでデマが流れると、それが本当のこととして一気に拡散して混乱を招いたりするわけだよなぁ。しかも拡散している人は、悪いことをやっている意識がなくて「俺はこんな大事な話をみんなに伝えている」ってイイコトをやっている気分に浸っちゃうところがまた宜しくないわけで。

何でこうなるのかということを考えると、自分の頭で考えることをやってないからじゃないかと思うんだよね。「ホントにそうなの?」とか「何がどうなの?」ってのを考えていかないといけないんじゃないかと。

それを招いている要素として、2つ大きなことがあるのかな、と思ってる。

1つ目は、『自分の信じたいものを信じる』傾向。

自分にとって都合の良い話をそのまま鵜呑みにする、自分にとって分かりやすい内容に解釈して理解する、自分の考えと同じ内容の部分だけを切り取ってそこだけを把握する、そんな傾向が強いのが問題なんじゃないかと思ってる。

自分の信じたいものだけを信じてたら、そら楽なんだけど、それじゃあ新しい視点が手に入らないからなぁ。どうしても物事の一面だけしか見られない。判断が浅くて短絡的なものになるよね。

もう1つは、特殊な毛0すを一般化してしまうこと。

例えばモンスターペアレントの話。ニュース等で報道されている内容を見ると、モンスターペアレントが大きく取り上げられる事によって、幼稚園や小学校の親はモンペアばっかりなんじゃねぇかって感じる部分もあると思う。が、普通に考えたらそんなに激しい人間が大量にいるわけなくて。特殊なケースでしかないわけよ。1000人いる中の1人とか、そんな感じだと思う。

だけど、それを一般的なものとして捉えてしまうところも問題かな、と。まあそんなふうに報道するマスコミも問題なんだけどね。マスコミこそ、極々レアなケースを一般的なケースであるかのように報道して、視聴者や読者をミスリードする傾向が強いから。そのほうが売れるんだろうけど、そこに品格もクソもあったもんじゃないね。

それでもそういうのを大衆が求めてるから売れるしネタになる。そしてそれを自分で判断せずに鵜呑みにする。そんな姿勢も問題なんだけどね。

そうすると、考える必要がないから、楽なのは楽なんだよね。判断を相手に委ねるわけだし、自分で責任を取らなくていいし、「本に書いてあった」「テレビで言ってた」って言えば済むわけだし。

でもそうなると、楽なだけで成長もないだろうし、何より周囲から信用・信頼されなくなるんじゃないかなーと思うんだよね。自分で考えることをやっていかないと、周囲に流されるだけだろうし。

ということを書きつつ、そして多くの人間が自分の頭で考えて判断を下していくことで、もっと社会全体がいい方向に進んでいくんじゃないかと思うんだけど、その一方で、「このままでもいいんじゃね?」って気持ちもある。

そういう短絡的にしか考えられない人間、ある種の権威から発せられた情報を鵜呑みにする人間、自分で考えることが出来ない人間がいることで、それが出来る人間が目立って、高く評価されるわけだから。前職でもそうだったなぁ、と思う。

なので、僕がもっと上に登っていくために、自分の頭で考えていない人は、引き続き他の人が言っていること、マスコミの情報を鵜呑みにして、デマに踊らされてください。期待してます。


僕が思っている、自分の頭で考えるコツは、常に自分が間違っているかも、と考え、自分の考えを否定する意識を持つこと、だと思う。難しいんだけどね。


あー、今日も見事に内容がないエントリだな(笑)