コレは読んで損はない ~ハンバーガーを待つ3分間の値段 | 日常の中の非日常

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ハンバーガーを待つ3分間の値段―ゲームクリエーターの発想術 (幻冬舎セレクト)/幻冬舎

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図書館で見かけて、何となく面白そうだなーと思って手にした1冊。図書館てところが泣かせる。買えよ。いや、Kindle版が出たら買うかも。マジで。

それくらい面白かった、ってことなんですが。

著者はドリームキャスト唯一と言ってもいいかもしれないキラーコンテンツ『シーマン』を作ったゲームクリエイター。(ドリキャスのキラーコンテンツって、サカつく(プロサッカークラブをつくろう!)もそうか?)

僕は初代プレステ以降は殆どゲーム機に触ってないから、やったこともないし分かんないんだけどね。初代プレステも、はっきりと記憶に残ってるのはFF7、8、9とペルソナくらいかな。他はもう全然ですわ。

で、この人の発想が面白い。ゲームクリエイターだからどうこう、って話じゃなくて、単純に「こういう発想もあるんだなー」とか「なるほど、そう考えるのね、この人は」とかっていう、自分にはない着想、発想が与えられるんだよね、読んでると。

例えばシーマンの話の件で、認識できない口調、言葉が続いた時、プロトタイプでは「よく聞こえない、もう一回言って」ってのを繰り返すだけだったのを、「お前の話、何回聞いても分かんねぇんだよ!もう帰るわ!」って逆ギレさせたら評判が良かった、って話。

これもよく考えたら、別に画期的な話でも何でもないし、結局のところ、相手の言葉を認識しきれていない所に問題があるわけやん。著者もそう書いてる。それをギャンブル的に相手の責任に置き換える。これが逆にリアリティを与えてるんだよね。こういう発想はなかなか出てこないし、出てきても実行する度胸はなかったりする。でもそこを敢えてやるって姿勢が、大事になってくるんだろうなぁ。

一番面白いと思ったのは、第二章の『正確とリアル』という節の『タワーというゲーム』の項。ちょっと長いけど引用。

 かつて私が制作した『タワー』は、きわめてリアルで緻密な高層ビルのシミュレーションゲームとして評価を得ました。
 ですが、実のところこのゲームには「空調」も「給排水」も「構造計算」も入っていません。複雑な高層ビルを「人の移動」という軸で切り取り、あとの要素は一切割愛されています。
 ちょうど戦術の「略図」と同じです。ばっさりと不要な要素を削ぎ落とし、ひとつの軸でビルを再構成した結果、因果関係が明確になり、ユーザにとって正確でないぶん、リアルになった。
 人間がひとつの目的を持ったとき、かならずしも「情報量が多いこと」がリアルとはならないようです。


これは現実世界でも同じだなぁ、と。

ここ数年ずっと考えていることなんだけど、今の時代はいかにして「余計なものを削ぎ落とすか」「どれだけ割り切れるか」「どこまで絞り込めるか」がポイントになると思ってる。そうしないと、ノイズに邪魔されて本当に必要なもの、やるべきことを見失ってしまうから。

そのために「何が大切なのか」「何を目的とするのか」を明確にすることが大事で、コレがないと削ぎ落としも割り切りも絞り込みも出来ない。これは上記の引用した部分で言っていることと全く同じなんじゃないかなぁ、と。

インターネットの普及で、いろんな情報を誰でも簡単に即座に得られるようになった。コレ自体は非常に素晴らしいし、僕としても今となってはインターネットやスマホのない世界には戻りたくない、と思ってる。

その分、ノイズが多くなってきているのも事実。スパムメールなんかは分かりやすいノイズだし、今日も全く知らない美人の女性からFacebookで友達申請が来た。「あー、これは釣りだなぁ。出会い系サイトに誘導するんだろうなー。どんな手で来るんだろう、ちょっと楽しみだから乗っかってみるか」と思って申請を承認したりしてみたんだけど。

それはさておき。

ノイズが多いって話だ。いろんなノイズが増えてきている。正確には「自分にとってのノイズ」だな。他の人にとっては非常に有益な話題かもしれない。ただ、自分にとっては優先順位的に低くなる話題。でもそういうのについつい踊らされたり惑わされたり。

そこでどれだけノイズを削ぎ落とせるか、ってのが重要になってくると思ってる。

それは、前述のタワーの話でもそのままつながることだと思ってる。

おっと、本の感想じゃなくなってきてるな。

ともあれ、文庫版も出てるみたいだし、一読の価値はありますよ、マジで。全ての人にオススメします。


採点:5点(5点満点)

でもこの人って、シーマンのあとはコレといったヒット作ないよね。。