かわぞうの小説集「官能小説・ひとりごと・etc」 -195ページ目

清水宗治

1582年。

天下人への階段を当たり前のように着実に上り詰めつつあった織田信長は、中国地方の巨大勢力である毛利氏を征伐せんと羽柴秀吉を総大将として大軍を送り込みます。

西へ西へ。毛利領を順調に侵略していった秀吉軍は、やがて今の岡山県にある備中高松の城の攻略に挑みました。

その城の主は清水宗治。平生より名将の誉れ高く、その名は広く知れ渡っていました。

しかし、いかに宗治が強いと言っても秀吉の大軍に正面から当たるのは自殺行為なので、籠城します。

やがてその城を大軍でもって取り囲んだ秀吉は、いろいろちょっかいを出してみますが宗治がそれをことごとくはね返します。

さればここはひとつと秀吉は城の周りに長さ14キロメートルからなる巨大な堤を築きました。

そして近くの川の水をせき止めると、十分水がたまったところで巨大な堤の内側にその水をドオーッと流し込みます。

有名な「水攻め」ですね。

城兵はさぞかし驚いたでしょう。が、水が流れ始めた頃はそんなに恐れてもいなかったと思います。

ところがいつまでたっても水の流れは止まってくれない。

城兵が恐れ出した時には備中高松の城はすでに水びだしになっていました。

あまりのことに毛利軍の士気は日に日に衰え、長ずるに及んで食料をまともにとれなくなり、病気も流行る。

そこへ、秀吉からの使いが来ます。曰わく、清水宗治が腹を切り、城を明け渡すなら他のみんなの命は保証する、と。

宗治は大して迷いもしませんでした。覚悟を決めると、水面に小船を浮かべてそれに乗り、多数の証人が見守るところまで漕ぎ出し、そこで辞世の句を詠みました。



浮き世をば

今こそ渡れ

武士(もののふ)の

名を高松の

苔に残して



秀吉軍はそのあっぱれな姿を固唾をのんで見守ります。

しかし城内の兵士たちは…おそらくみんな泣いていたんじゃないでしょうか。宗治さま…俺達のために…と。

宗治は一切の躊躇いなく、潔く腹を切りました。

そしてその名は、四百余年経った今も朽ちることなく語り継がれています。