大義は此処にあり | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

 本日は、うずら様の寄稿コラムです! 非常に秀逸なコラムで、切れ味3割増しといったところでしょうか。

 改革という名の「反成長主義・反分配主義・反国民主義」を厳しく批判されておられます。じっくりお読みいただき、その心意気を感じてくださいませ。

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大義は此処にあり~うずら様

加害者の目の前にいるのに、その眼に映らぬ唯一の存在は、「被害者の姿」なのではないでしょうか。

『2つのポピュリズム』(2/14日経新聞「大機小機」 執筆者:横ヤリ)
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO41208970T10C19A2EN2000?unlock=1&s=0
「ポピュリズム(大衆迎合主義)の勢いが止まらない。
パリでは黄色いベストを着た民衆がデモを繰り返す。ドイツにイタリア、ハンガリーにデンマーク……。欧州の国々で極右政党が台頭している。一般教書演説で熱弁をふるったトランプ大統領の移民政策に米国民の7割が賛成したという。(略)
 ポピュリズムには2種類あると考えるとわかりやすい。1つは人々が一体感を確認しようとする「アイデンティティー追求型」である。もう1つは目先の利益を求める「短期経済利益追求型」である。(略)
 反グローバリズムや反欧州連合(EU)を掲げる欧州極右政党の台頭は、アイデンティティー追求型の典型だ。移民・難民やイスラム文化の流入。人々は不安になり内向きになる。(略)
 左派ポピュリズムに多いのは短期経済利益追求型である。メキシコの年金倍増やベネズエラ、マドゥロ政権の補助金ばらまき。目先、人々を喜ばせることが第一だ。(略)
 アイデンティティー追求型ポピュリズムの一番の怖さは人を酔わせ多面的な視点を忘れさせる点にある。排外的になるだけでない。言論の自由や法の支配も否定し、暴力性を帯びる危険すらある。
短期利益追求型には財政破綻や経済的混乱の芽が潜む。(略) イタリアの長期金利も一時跳ね上がった。ベネズエラのインフレ率はなんと、268万%となった。(略)
2つのポピュリズムに共通するのは自律意識を欠いた思考停止である。」

上記コラムを書いた横ヤリ氏は、犯罪と低賃金労働という“病原菌”を持ち込む移民や難民を忌避し、安全で文化的な生活を護ろうとする国民の気持ちを「内向き」と揶揄し、生活苦から逃れるため社会保障の充実や雇用拡大を求める国民を“物乞い”呼ばわりしています。

治安の悪化や低賃金労働の固定化を嫌って何が悪いのでしょうか?
少なすぎる賃金や年金に疑問を抱き、政府に対して雇用の創出や福祉制度の改革を求めて、何がいけないのでしょうか?

生活環境の向上を目指して努力し、その対価を求めるのは、先進国たる国家に暮らす国民として当然の行為であり権利なのです。

本来、こうした国民のニーズを先回りして拾い上げ、必要な経済政策や社会政策を打つのが、政治家や高級官僚たる者の果たすべき使命ですよね。

なのに、横ヤリ氏は、国民の最低限のニーズすら満たせぬ政治家を叱咤するどころか、声を上げた国民や、それに応えようとする勇気ある政治家を捕まえて「ポピュリスト」呼ばわりするのですから、とんでもない大バカ者です。

大衆迎合の何が悪いというのか、政治は主権者たる国民のニーズに寄り添うべきものですから、国民適正な要請に応えるのを批難される覚えはありません。

経済政策を放棄し、誰の腹の足しにもならぬくだらない理想を押し付けようとする愚物こそ糾弾されるべきでしょう。

彼のように、新自由主義や緊縮主義から滴り落ちる既得権益にしがみつこうとする輩は、政府に正当な経済政策を求める国民の声に、「ポピュリズム、内向き、ばらまき、排外的」といった負のイメージの強い言葉でレッテルを貼った挙句に、自らの無能や非才さを棚に上げ、自律意識を欠いているだの、思考停止だのと相手を貶めようとします

彼の物言いを眺めていると、あたかも、清廉な改革者たる自分たちの領域が、欲にまみれた怠け者の大衆に侵されるのを嘆いているように見えます。

醜悪な経済思想を以って国民の生活レベルを地に落とし、希望を奪っておきながら、自分たちの罪が追及され始めるや否や、迫害を受ける被害者ヅラし、既得権益を守ろうとしているのです。

本当に卑怯かつ性根の腐りきった汚物ですね。

私は、横ヤリ氏みたいな連中を見るたびに、リチャード・マシスンの書いた「地球最後の男」という小説を思い出します。

物語のあらすじは次のようなものです。
「1970年代、人間を死に追いやった後に吸血鬼として甦らせる吸血ウイルスが、世界中に蔓延した。
人類が滅びる中、ただ一人生き残ったロバート・ネヴィルは、夜な夜な自分の家の周囲に集い、騒ぎ立てる吸血鬼たちと孤独感に苦しみながら、昼間は眠る吸血鬼たちを狩り出して杭を打ち込みながら、生活必需品の確保と、吸血鬼退治の方法を研究し続けるのだった。
そんなある日、ネヴィルは太陽の下で活動する女性を発見し、自宅に引きずり込む。ルースと名乗る女はやがて自分がスパイであること、そしてネヴィルにこの場所から逃げるように告げて姿を消すが、ネヴィルは結局自宅に留まり続ける。
そしてある夜、暴走族のような集団がネヴィル邸を襲撃し、周囲に集っていた吸血鬼たちを殺戮し、抵抗するネヴィルを痛めつけて連行する。彼らは吸血ウイルスに冒されながらも生き残り、新たなコミュニティを形成する「新人類」であった。
そしてネヴィルは、彼らが処刑されようとする自分を見る目に恐怖が宿っていること、そして彼らにとって、自分こそが「人々」が寝静まった頃に街を徘徊し、「人々」を殺戮しまくる伝説の怪物(Legend)であることに気づくのだった。(Wikipediaより)」

つまり、闇夜に身を潜め怪物から逃げ回りつつモンスター狩りに勤しんでいた男が、実はモンスターから恐れられる“伝説の怪物”だった、そして、モンスターが多数を占めるようになった新しい世界では主人公こそが“異物”だった、というわけです。

この小説に描かれた主人公は、自らの悲運を嘆き、世界を制した吸血鬼たちを夜な夜な殺戮して回るのですが、自分を見つめる吸血鬼たちの瞳が恐怖に満ちているのを見て、これまで被害者だと思い込んでいた自分こそが、吸血鬼たちを恐怖のどん底に陥れた冷酷な加害者だったことに初めて気づきます。

横ヤリ氏のような新自由主義者や緊縮主義者は、所得を減らされ続け、増税に喘ぐ国民の苦しみなど、まったく意に介していません。
国民は虐げられて然るべきもの、それに対して抗議し文句を言う奴がいるのは頭のおかしなポピュリスト、正当な改革を非難される俺はかわいそうな被害者だ、と言い張るわけです。

まったく、度し難いほどワガママで幼稚な連中ですが、彼らに言論の正当性の是非を審判するイニシアティヴを与えてはなりません。

私はこれまで、積極的な財政金融政策による経済成長や国民生活の向上を求める主張を「反緊縮・反グローバリズム・反新自由主義」と銘打ち、緊縮主義者や新自由主義者を批判してきました。

しかし、緊縮ごっこや改革ごっこが我が国の生産力や需要力を破壊し尽くしてきた事実が誰の目にも明らかである以上、私たちがゲリラ紛いの抵抗勢力に甘んじる必要はありません。

よって、これからは日本人を貶める連中のことを『反成長主義・反分配主義・反国民主義』と蔑み、厳しく批判していくつもりです。

(了)


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