GDP成長は永続するのか? | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム
アイドル新党なでしこ! 1 [Kindle版] 遠藤万次郎 (著), 香川ヒロ (著)
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【第6回進撃の庶民討論会】
日時:8/8(土)夜9:00~1:00

議題:日本の国債とギリシャの国債は同じか違うか?(返済不要、返済必須か?)

経済政策を議論する際、必ずと言っていいほど日本の国債について、意見の食い違いが出てきます。ここでの認識が違っていれば、デフレ脱却などの方策も千差万別になることは必定。日本の国債について皆さんで議論しましょう。

ルール:・誰でも参加可。ただし暴言などはコメント削除。    
     ・頓珍漢なコメントも温かい気持ちで対応。    
     ・他者と会話をする場合は「さん」づけ。コメントは「です・ます」調で。





『3個目の『策』と歴史のお勉強とナイスコメント』チャロチャロ様
http://ameblo.jp/charocharo01/entry-12054662883.html

「マクロ経済を理解して経世済民を議論できる人を日本にもっと増やそうよ!そのために、マクロ経済の初歩中の初歩を案内してあげるための方法を作ってネット経由で全国にばらまこうよ!」
チャロチャロ様の原稿掲示&作戦会議室です。
皆様のご協力をお待ちしております!

『着々と実装中&製作中に経済で思ったこと』ヤン様
http://ameblo.jp/yangh-wenly/entry-12058560137.html

『ブルーオーシャン』
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反新自由主義の旗艦サイト。ヤン様が鋭意制作中。いくつか実装完了の模様!要チェックですよ!
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金曜日は、secretary-of-japan氏のコラムです。本日は『GDP成長は永続するのか?』についての稿を頂いております。



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本日は議論の仕方について、ひとつの事例を取り上げながら話をしたく思います。
以前に議論の勝ち負けなどこだわってはいけないと申しておきながら、何なんだと思われるかもしれませんが、勝ち負けに拘る人に議論に負けてしまえば、「議論の勝ち負けなどこだわらない」などという発言は、ただの負け犬の遠吠えになってしまうので、お互いに議論の勝ち方も知っていてもらえるなら、より充実した議論になるのではないかと思うのです。

古い記憶になりますが、バブルが完全にははじけきっていなかった頃、ワリコーとかビックとかの割引金融債券が、まだ5%以上の金利があった時代ですから、20年以上前のことになりますが、その時に、ビックとワリコーとどちらが得なのかという話をしていたことがありました。

ワリコーは今のみずほ銀行系の発効するもので固定金利で、ビックは住友銀行系統が発行していた変動金利のものでした。(実は、ビックにも固定があったかもしれませんし、ワリコーにも変動があったかもしれません。ただ、当時は、私自身が子供でしたから、そういう理解をしていました。)

当時の自分は、ワリコーが得だと漠然と思っていたのですが、相手が、変動型金利はリスクが有る分だけ常に高い金利をつけることになるため、ビックの方が得だと力説していて、そんなものかなぁと思って聞いていました。

何となく、そうかなぁと思った上で、「でも、社会が発展し続けるとは限らないんじゃない」と話をしたところ、猛烈に反論を受けました。ここで「景気が常に上向きであるとは限らない」と議題を設定していたなら、その後、相手がビックを買うのを止めて、ワリコーを買っていたかもしれないと思うと若干申し訳なくも思うのですが、まぁ、複数年分のお年玉と中学校入学祝い程度の話でしたから、ビックを買おうとワリコーを買おうと実際には、さしたる違いはなかったのですが。(今にして思えば、中学生の10万円と大人になっての10万円には雲泥の差があるから、好きなように使っておけばいいのでは?とも思いますし。)

ともかく、不用意な一言から、「社会が発展し続けるとは限らない」という議題を設定してしまったために、当時の私は「なぜ社会が発展し続けるとは限らないか」という命題に対して証明をする義務を負ってしまったわけです。

一番最初に考えたのは、当時もよく言われていた「物質的な成長を遂げた以上、次は精神的な豊かさを求めて、一度、止まって考えるべきではないか」というべき論での議論展開でした。当時は、その後に発売され、ベストセラーになった「清貧の思想」の作者、中野孝次の本が家にあり、たまたま読んでいたため、こうした本の中身を引用して話をしました。

当然、相手は「べき論」であることを指摘します。

『それは、主張者たる私にとっての理想論であって、現実の世界がどうかとはリンクしない。そもそも、多くの人が、「物質的な成長を遂げた以上、次は精神的な豊かさを求めて、一度、止まって考えるべき」などとは考えていない。また、物質的な豊かさが増したなら、精神的な豊かさが失われるなどというのは妄想で、物質的な豊かさを失えば、精神的な豊かさを失うほうが普通である。「富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賎に行うは論語にあるが、富貴に素しては貧賎に行う」などという話は全く理解できない話しである。』

こんな類いの反論をされて、私はぐうの音も出ない状況に追い込まれながらも、
『いや、社会の成長が著しかった結果、次から次へと新しいものが生まれてきているけど、それを使いこなせる人は良いけど、使いこなせない人はどうするのか?もっとゆっくり社会が発展していかないと人類は不幸になるのではないか?』という話を展開しました。

これに対して、相手はこんなかんじの再反論をしてきました。
『社会の成長速度とは、豊かさと同じだ。例えばお前が好きな漫画は週1回発売されるが、これは週一回、新しい題材の物語が生まれていくという意味で社会の成長だ。社会の発展を遅くさせないと人類は不幸になるなら、漫画を月に1回発行とか半年に1回発行とかにしたら良いのか?』

これに対して、私は、『いや、そういう訳ではないけど・・・。』と言って、更に追求してきた相手に『もう!わかんないよ~』と逆ギレしました。多分、まだ、小学校にいた頃だと思いますから、逆ギレしたことについては、恥ずかしいですが、まぁ、お見逃しください。

さて、ビックとワリコーを購入するとどちらが得だったかといえば、実際にはワリコーだったわけですが、議論の設定の仕方を誤ると無残に惨敗してしまうという実例を見て欲しくて長々と記載しました。

そして、上の事例では、議論の設定後も、負ける要素が山積みですね。まず、「社会が発展し続けるとは限らない」という議題に対して「社会の発展」についての定義がないまま議論になっています。最後に「社会の発展」の定義として「生産の積み上げ」であると相手側が定義してしまい、それを受け入れてしまい、その定義を基にして再反論されています。

議論で重要なのは、議題の設定と、その議題における言葉の定義の共通化です。言葉の定義の共通化を主導的に行えたほうが、たいていの議論では圧倒的に有利になります。

それから、相手は、議論をより身近なレベルに落としこんで議論しています。いわば身の丈にあった議論展開をしているのに対して、私は、清貧などという、あきらかに自分のレベルで理解できていないものを論理の中心に据えています。先生がこういっていたとかテレビでこういっていたとか、そういうもので理論構築していれば、深く切り込まれたら説明できずに崩壊してしまうのです。

議論では、自分の論理は、自分が理解できているレベルに落としこんでから援用しないと恥ずかしいことになります。

さて、最後に「社会が発展し続けるとは限らない」という命題について、今の私として答えを出してみましょう。

「社会の発展」を実質GDPで考えるなら、「社会は常に一定以上の速度で発展を続ける」と言えます。太古の昔から、人々は間違いなく成長を続けてきました。皇紀元年、つまりは神武天皇がいた時代には日本国内に10万人くらいの人がいました。

後期縄文時代における、この10万人の人々が食べていた食事を今の価格から算出し、エンゲル係数として一定程度の割合を仮定してあげたなら、当時の日本の実質GDPは計算できます。ざっとで100億円というところでしょう。これが2000年もの時を経る中で530兆円にまで膨らむのですから、日本の進歩は本当にすごいものです。この間、時代の節目で見ていくと、ほぼ100年あまりの期間経過毎に2倍の実質成長を続けてきました。

そして、その間に米は品種改良がずっと行われ続けた結果、当時のお米とは比較にならないような美味しさを持ちますから、本来であれば、その品質差を埋めて計算しなければいけないのですが、そういうことを省いても6万倍にまで膨らんでいます。

製品は常に新しいものが、コストに対するバリューが上回りますから、これは当然の話しなのです。(その利益を企業がとるか消費者がとるかは別の問題ですが、そうでなければ新しい製品を発売する意味がありませんからね。)

パソコンなどを例に取ると分かりやすいですが、ハードディスクが出始めの頃は、30MBとか120MBとか、360MB大容量ハードディスクなんていう言葉もありました。今では、microSDというスマホに入る小さいものが4GB=4096MB、500円で買えてしまいます。

当時の360MB大容量ハードディスクを3万円とかで買った人からみたなら、700倍くらいの実質GDP成長という感覚になるのです。統計上の数字では、その時に市場で出回っているものを標準のものとして取り扱うので、ここまで極端には出てきませんが、国民の実質的な豊かさで言うならば、確かに700倍豊かになっているわけです。

無論、だからといって、パソコンの関連市場(需要)が700倍に膨れ上がるわけではありません。需要の伸びと技術の伸びは正比例するわけではないのですから。ただ、その豊かになった分は消費者の利益や企業の利益として蓄えられていきます。この利益には便益的な利益も含みますが、無論、多くのお金としての利益を含みます。

こうして実質的な成長で産み出されたお金が内部留保や個人の預金として蓄えられたとしても、長期で考えたなら、いずれは必ず使われることになります。とはいえ、使われにくい状況(あるいは政府に対して資金を使えというサインが金利の低下として現れている状況)が続くなら、政府が代わりに使うべきだと考えるわけです。



【進撃の放談】

アメリカの諜報機関が日本政府を盗聴していたというニュースを目にした時、正直、悪い気はしませんでした。
「お、なんか独立国家みたいにみえるやん」と。(笑

しかし、ドイツ、フランスがされていた件数と比べれば恐らく少なすぎる位でしょうし、日本政府のアメリカに対する二枚舌度合いを調べていた程度なんでしょう。

独立国家を目指すにおいて、日本にも強力な諜報機関が欲しいところですし、その他、防衛産業の育成、食料、エネルギーの自己調達の確立など、やることが山ほどありますね。

国民の意識改革が一番大変かもしれません。

これらを50年でできれば早い方な気がします・・・。(影)




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