Vol.38 「ブッダじゃないけど」 | 福祉に関わる人たちへ

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人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

こんばんは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 


昔、僕が障害者の方々と関わるようになった頃、
彼らは純粋で人間のあるべき姿なのかもしれないと思っていた・・・


でも、そうじゃない。


確かに知的障害の方や自閉症の方の中には、独特の世界観を持って、
世の中に洗脳されていない、ある意味純粋なひとがいる。


でもそれは、あるべき姿?ではない。





あなたに聞こう。



ひとは生まれてきたことに意味があると言う。




この言葉が好きなひとも嫌いなひともいるだろうが考えてほしい。




障害者は何の意味があって生まれたのだろう?
なぜ、障害者になったのだろう?





もちろん、これはひとはなぜ存在するのか?
というくらいな問いなので、答えなどない・・・









でも、僕は・・・僕はこう思う。




「気づく」ため。




究極のところ、人間はみな、つながっていてひとつなんだ。


「あいつのここが嫌い、あそこが気に入らない・・・」


そういうのは、みんな自分の受け入れられないコンプレックスのようなものとリンクしていたりする。




そう、自分で自分を見ているから反応してしまう。




こんな親を見たことはないだろうか・・・



障害者を見て、顔を歪めながら、
まるで犯罪者でも見るように我が子に関わらないように仕向ける親を。


話がそれてしまうが、「犯罪者」にしてもしかり。


ひとは、ニュースを見ると「酷いことするひとがいるもんだ」と加害者を軽蔑する。



しかし、この見方が障害者にも共通するのだ。



加害者はなぜ加害者になったのか?

罪を犯したかっただけの犯罪者などいるだろうか?



そこには、動機がある。

動機の向こうには、原因がある。



それらの何ひとつ知りもしないのに、
ただただ軽蔑して、人間のくず扱い・・・




僕に言わせれば、「変わんないよあなたも」




話を障害者に戻すが、

「空気が読めない」
「言葉が話せない」
「理解力が低い」
「適応能力が低い」


よく障害者について言われたりする。



僕に言わせりゃ、

「空気読んでるから凡人で終わるんだよ」
「言葉でしか伝えようとしないから、こころが貧しいんだよ」
「あなたのいう理解力って何?伝え方が雑なんだよ」
「適応する必要があるの?型にはめたいだけだろ!」




大切なのは、自分はなぜそう思うのか?そう感じるのか?




障害者も僕らも自我に囚われているだけのいわばコントロールされる小さな生きもの。




何に気づくか、それしかない。




それは何か?僕はブッダじゃないからわからない・・・

でも、どうせ生きていくなら、そこらへんを感じて生きたい。



少なくとも僕は。