今日下記の記事が目に飛び込んできました

大切なことかもしれない
ってシェアさせて頂きます。

抜粋してますので全文ではありませんので
ご了承ください
記事を書かれている人の
本分ではないかもしれませんが〜

私の私見も入れさせて頂きます♪

【幼稚な大人たちの共通点】


教育には「①教える、②注意する、③叱る/褒める、④罰する/賞する」の4段階があると言われている。家庭教育も学校教育も社会人教育も同じだ。もちろん殴らないで済むならそれに越したことはない。しかし、注意しても直らなければ叱る。叱る側は相手の心が傷つくことも承知のうえで叱る。それでも相手が行動を改めれば成功だ。

こうしたことを考えることなく「殴る=暴力だから絶対に許されない」と声高に叫ぶのは、とても幼児的な発想ではないだろうか。単純な善悪で物事を判断する人は、全否定か全肯定の2枚の紙でしか物事を考えない。その中間の遊びの部分がない。部分否定ができない人は考え方に幅と深みがなく、心の余裕も生まれない。ここに二元論の危うさがある。

中略

家庭で親が子供を教育できず、学校で先生が生徒を教育できなくなっている原因の1つに「相手にどんな非があっても傷つけてはいけない」という考え方があると思う。この考え方が社会にビッシリと根を張って「絶対に正しい」という顔をしているので、教える側の腰がひけてしまっている。

それでも「聞き分けのない子を教育するには殴るしかない」という部分否定が大人の考え方ではないだろうか。経験不足な若手社員が単純な善悪だけで判断するのは仕方ないが、社長や経営幹部などリーダーの立場にある人間が”薄っぺらな正義の味方”に迎合してはならないと思う。リーダーたるもの、厳しさを肯定し、周囲に納得してもらうだけの行動を示さなくてはならないと思う。』


『幼稚な大人たちの共通点』より抜粋

今、地球は二元論に流されていますが、ずっとお伝えしているのは、地球上🌏では、グレーが必要だということだと感じます。

今の教育は、ゲシュタルト的に詰め込むことになっているのではないかなぁ?って感じるんです。

脳は一つのゲシュタルトしか選ばない


私の感覚ですが

この人間の脳機能を利用して

そうさせてしまう

だから

これは、白

これは、黒

というように叩き込んじゃう


『殴る』は、いけない


という具合です。


いけないけれど

時と場合によるよね!


というのがグレーですね


昔の日本には、グレーがあった

私も小学校低学年の時

ピアノの先生に

間違えたらよく

手を叩かれてました(笑)


数年経って

母が他の人から

そのピアノの先生は

手を叩くんだ

だから、辞めていく

生徒さんが多い

と聞いてきて

私も手を叩かれているのか?と

確認しました。


私は

間違えたから仕方ないでしょ?

それでないとうまくなれないと

思うよ!


と答えたのを覚えています。


そう思うと

私は、ちっちゃな頃から

何かを習得するために必要なことを

魂レベルでわかって

いたのかもしれません!


その可能性を、今の大人たちが

消しているのかも

しれませんね!


深く感じていただく

チャンスになれば

幸いです〜


 
ではでは素敵な今を!
 

 

 

 

 
✨絶賛‼️発売中✨
 
 

🍀オンラインショップ🍀

宇咲愛のセレクトショップ💕

usagiai

 

 

 
伝統と革新‼️

 

 

image

image

image

 

 
🍀メルマガ配信中!!🍀

 

 

 

 

 

book1

≪ビジネスで活かしたい人必見著書≫

すごい成功

≪ひふみ神示宇宙訳本≫

アシュタールひふみ神示1アシュタールひふみ神示2アシュタールひふみ神示3

≪パートナーシップ著書≫

パートナーシップで悩んでいる人必見!

パートナーシップの魔法

<宇咲 愛>
公式Facebookページ
https://m.facebook.com/ai.usaki

どくしゃになってね…

 

<スターヴィーナス オフィシャルブログ!>

starvenus