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どうも地元の日蓮宗さんの記事です

ひとりの老人の功績を今に伝える五重塔

まず向かったのは、宿と同じく真野地区にある妙宣寺。扁額にはこの寺を開いた人物の名「阿仏房」の文字が。阿仏房とは、佐渡で最初に日蓮聖人の信者となった人物です。
「阿仏房は、順徳上皇に供奉して佐渡に渡った北面の武士でした」そう教えてくれたのは、住職の関上人です。
「阿仏房は当時、熱心な念仏の信仰者で、崩御した天皇の成仏をひたすら願っていた。だから念仏を否定しているという日蓮とやらを切り捨てるつもりで、塚原を訪ねたんですな。しかし日蓮聖人のお人柄や深い知恵、そして自分の悟りの浅さを知り、改心したのです。その後、塚原へ足しげく通い食べ物を届けたりと献身的にお世話をしたことはとても有名です。
この時、阿仏房は84歳。日蓮聖人がその後山梨県の身延山に移られても、91歳で亡くなるまで3度身延へと足を運んでいます。その交流はたった7年と短い期間でしたが、とても強い間柄で結ばれた師弟関係だったのですよ」

佐渡から身延への道のりは、当時なら片道半月以上かかったはず。90代で訪ねるなんて、ものすごいガッツ……!なんだか阿仏房さん、一度決めたらやりぬくような、実直な方のようですね。
「日蓮聖人はね、その人柄を指して『阿仏房さながら宝塔(=仏塔)、宝塔さながら阿仏房〈阿仏房こそ生きた仏身、宝塔なのだ〉』と賞賛されています。それほど信仰心が厚く、徳の高い人であったようです」

妙宣寺といえば五重塔が有名。江戸時代に建てられたこの五重塔は、建築的にも価値が高く、国の重要文化財に指定されているものだそうです。
「実はこの宝塔(五重塔)は、得の高い阿仏房を称えたものなのですよ。
元々ここには阿仏房を祀ったお堂があったのですが、1730年頃にはそれが朽ちたため、寺の25代目の日念上人がお堂を塔として再建する計画を奉行に提出しました。ところが貧しい世の中にあって、贅沢すぎると批判を受け、日念は処罰されてしまったのです。しかし阿仏房の徳を称える塔の計画は代々受け継がれ、約100年後についに完成した訳です。確かに贅沢ですが、これがあるおかげで今なおこれだけ多くの方が参拝し阿仏房を称えることができるのですから、とても大切な意味を持つ塔なのです」

日蓮聖人を師と仰ぎ献身的に支えた阿仏房の人生、そしてここ妙宣寺で阿仏房を称え続けた歴代の住職の思いが、この塔につまってるんですね。

よく手入れされた境内には
たくさんの参拝者が。
皆さん、五重塔をバックに
記念写真を撮っていました。