ひふみ神示 第25巻 白銀の巻
第一帖

宇咲愛 訳

天と地すなわち「宇宙と地球のことわり(理)」を
お伝えいたします。

宇宙と地球との間に内在する道理なのです。

これは、人の意のままにならず、人の力では支配することや
動かす事ができない筋道なのです。

みなさんが、天国 霊の世界 地獄 浄土 穢土 と使い分けを
されているようですが、宇宙にはそのような分離は存在しない
のです。

そして、次元のお話も数字を用いてよくされていますが
実際は、宇宙にはそのようなものは存在していないのが
事実なのです。

この惑星でいう、トキ・タイミング・場所・その方々のステージ
に応じて、判りやすいように方便を使ってお伝えしている
のです。

宇宙とこの惑星の概念があまりにも違っているため
宇宙の空間をこの惑星に方々に理解するように説明する
方法が多様に存在するのです。

今、トキタイミングが来ましたので、真実の宇宙の条理を
お伝えいたします。

この宇宙には、三千以上にもなる世界が存在しています。

この惑星は、その一部の世界に含まれています。

しかし、またこの惑星の世界も三千に分かれ、更に五千に
分かれているのです。

今のこの惑星の住民のみなさんが知り得ることができる
世界は、その中の8つと言われています。

住民の方々によっては、7つかもしれません。

あなた方は、人間の基礎組織に於いても7つ
日の光 プリズムも7つ
と思いこまれているようですが、宇宙からの視点
では、それ以上になるものなのです。

集合的無意識、つまりこの惑星に住む人々の
ある一定の意識が「愛と光の世界」に意識が向き
実現可能であることを覚悟したのであれば
この惑星は瞬く間に「愛と光、平和の世界」へと
導かれるのです。

それは、この惑星に住み人々によって実現され
るのです。

創造主が創造した、「永遠不滅の光の存在」である
あなた方が、そのことを魂から思い出す時が
くるでしょう。

しかしながら、すぐにすべての人々がすべてを理解
できるわけでは、ないのです。

一部しかわからない人々も存在するでしょう。

その方々は、「自分は判らない」ということを
判る必要があります。

宇宙からのエネルギーでこの惑星に影響が
でるように、この惑星のエネルギーが宇宙へ
影響を施す事もあるのです。

このことは、非常に重要な条理ですので
よくよくご理解ください。

不可視の世界、例えばエネルギーや魂の世界
が宇宙とするならば、可視世界は、あなた方
肉体を持つ人々が住むこの惑星の世界なのです。

しかしながら、あなた方の肉体と魂は一体となって
存在しています。

魂・心のエネルギーが発動し、肉体が活動します。

また、肉体が活動することによって、心のエネルギー
が躍動する事もあるでしょう。

この惑星に誕生した時の赤ちゃんの時のように
澄んだ心で受け止めていただけると、理解が深まると
思います。

澄んだ心、それは、自分に誓約をしていない心
世間からの制約を受けていない状態なのです。

その状態になれば、見えてくる事が沢山出現する
でしょう。

例えば、「陰と陽」「右と左」「上と下」「前と後」
「男と女」が存在すると考えているのが今の
世界でしょう。

しかし、その反対側の存在と思って、二元性を
掲げていますが、二元性の考え方の中には
正解がないのです。

これからの「愛と光平和の世界」には、その中庸
という正解が出現する事でしょう。

二元性の考えに隠れた、そのほかの答えが
あるのです。

その考え方の中に答えがあることを、心得ておくと
新しい世界での解決方法が見えてくる事でしょう。

この惑星に住む人々は、「父と母」の二人によって
誕生していると考えておられていますが
その二人に加えて「創造主」から誕生しているのです。

そのことからも、二という文化ではなく三の文化が
輝かしい未来を導く事でしょう。

創造主があなた方を創った時のエネルギー体
魂は、異次元である宇宙に存在しているのです。

「あなたの本質」と呼びましょう。

高次元の「あなたの本質」は、あなたを守護している
存在でもあります。

「あなたの本質」とこの惑星に住んでいる「あなた」は
もともとは同じエネルギー体なのですが、異空間で
同時に存在しているのです。

今のあなたは、「あなたの本質」と相談しながら
宇宙の法則に則って、今のあなたが生きる方向性
を出していくことが、何よりの「この惑星に転生した
あなたの役割」とも言えるのです。

どうしていけばよいかというと、今のあなた
は肉体を持っており、その肉体に魂が宿る事により
「感情」というものが存在するのです。

「感情」は、「あなたの本質」と繋がっているバロメーター
と言えるでしょう。

あなたの感情が、ネガティブに働いている時
その時は、「あなたの本質」の考えとは相違した
方向へ行っているというバロメーターになるのです。

「感情」というものに注意深くなることで、
「あなたの本質」と繋がりやすくなるのです。

「感情」は実に便利なツールと言えるでしょう。

今までのこの惑星で解かれている宗教において
「肉体」は汚らわしい悪であると言われているようです。

しかしながら、このように「肉体」というモノは大変に
有りがたい貴重な宝物であることがご理解いただけると
思います。

「肉体」に魂が存在するからこそ、「感情」が出現
できるのです。

「感情」というものが存在するからこそ、宇宙に存在する
「あなたの本質」と繋がりやすくなるのです。

そして、それをバロメーターにできるのです。

なんと素晴らしい事でしょう。

同じように、「地獄」という世界を創ってお伝えされて
いるようですが、そのような世界も実在しないのです。

もしそのような世界が存在するならば、今この惑星に
生きながらその世界を体感されていると思います。

あなた方は、わたし(創造主)が誕生させたのです。

「あなたの本質」とは、つまり「高次元の神」とも呼べる
でしょう。

その、「あなたの本質」と繋がることができるあなたは
まさしく、この惑星に存在する「創造者」なのです。

あなた方の興味深いであろう「死」という現象について
ですが、「死」というのは、肉体から魂エネルギー体が
出て行き、宇宙に還ることを言います。

誕生という現象は、宇宙から魂エネルギー体が
やって来て、肉体へ宿ることを言います。

「死」という現象では、魂エネルギー体がまだまだ
この惑星においては、凹凸が激しいため、宇宙へ還らず、
横の世界へそれてしまう事がたまにあるのです。

その横の魂エネルギー体が存在する世界を
「幽界」と呼んでおられるのです。

「幽界」は、この惑星で「魂エネルギー体」が曲がって
それてできてしまった世界ですので、それを「地獄」とは
呼ばないのです。

 「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。このほう五千の山にまつれと申してあろう。今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。八つの世界とは、   、  、  、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。その他に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。その上に又霊の霊の個から始まってゐるのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、皆直ちには判らないのであるぞ。判らんことは判らんと、わからねばならんと申してあらうがな。天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。このことよくわきまえよ。地の規則、天の規則となることあると申して知らしてあらう。この大切こと忘れるでないぞ。おもひの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。おもひ起って肉体動くぞ。肉体動いておもひ動くこともあるぞ。生れ赤児の心になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれるぞ。 、  、  、  、  、  、  、  、卍、、、、よく見て下されよ。一であり、二であり、三であらうがな。三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。 なくてはならん。 にもかくれた  と現われた  とがあるぞ。このこと先づ心得て下されよ。そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうがな。どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。 の中に  があり、その中に又  があり、限りないのざと知らせてあらうが。そなた達の中に又人がゐて限りないのぢゃ。このほう人民の中にゐると知らしてあらうがな。そなた達も八人、十人の人によって生きてゐるのぞ。又十二人でもあるぞ。守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変るのであるぞ。自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すのざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。今迄の宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。地獄ないこと合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃナア。各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそなた達が神であるぞ。あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。何処迄も下に従ふのぢゃ。順乱すと悪となるぞ。生れ赤児ふみこえ、生れ赤児になって聞いて下されよ。そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。死と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。判るやうに申してゐるのぢゃぞ。取違ひせんやうにせよ。天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、まだまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。(十二月十四日)