実は、今日は、別のブログを記載しようと思って
いたのですが、素敵な文章に出愛ました。
記事を記載された方が望まれるように、私も急遽
転記しご紹介させていただくことに
いたしました。
分離と統合のサイクル
千賀さんの「ガイアの法則Ⅰ・Ⅱ」や、単純に「波」の谷と山のうねりを観ても分かるように、低いところと高いところがあるだけなんですよね。
「分離がいけない」
「争いがダメ」
というものの見方は確かにあるけれども、必要応じて分離したわけで、その延長線に争いという流れがあったというだけなんだよね。
多分縄文時代と思うのだけど、統合、調和されていた時代と言うのだけど、サイクル的にはまだ父性の時代のはずなんだよね。
この時、生け贄(人柱)とかあった(と思う)し、それを行っても皆受け入れていた。何故なら、役割を持った者が、役割を果たして還っていくのは自然なことで、それを嫌だとか、私だけ助かればという発想がなかったの。
過去世を見ていて不思議に思うことがあったのね。
生け贄にされていた人がヤマトタケルに助けられるの。普通物語的には嬉しい! とか「ありがとう」ってなるけど、「なんで助けるの?」という感覚なんですよ。
役割としての使命が果たせない事による戸惑いや混乱が大きいの。
調和から争いの時代に転換していく中でも、混乱は起きていたんですよ。
だからその人「生け贄願望」みたいな、鎖に繋がれた巫女みたいなものにシンパシーを感じていたことを打ち明けてくれました。
根底には父性周期や対立周期の中でのさらに調和の周期でもあるので、生け贄や、魔物との共存があるわけです。その中での調和や融合といった流れなので、その土台で調和を保つわけです。だから私も巫女として身を投げ、霊体となって人柱になった記憶も蘇ったりしました。肉体が借り物、器という意識がある人にとっては、生け贄とか人柱は課程の状態でしかないのです。
そこに疑問を持つ、個の幸せを願うという発想、意識がないし、教育もされていない。だから、分離意識が確立され、個人の自由と幸せを望む人たちに取っては、古い習慣や観念に囚われ、忌み嫌い、改革をせねばと使命感を燃え上がらせたわけです。
今回の時代の変化、波の変化は母性周期に加え融合に入るので、厳密に言うと多分こうです。
父性・対立・争い・恐れ
から
母性・融合・調和・信頼
といった転換なんですね。縄文時代は「父性・対立・調和・信頼or恐れ」とまぁ、そんな流れであったのでしょう。
この転換は2万5776年で巡ってくる大きな周期転換のタイミングになっているわけで、波からすると落差が激しいので「面白い」のです。
対立周期であっても、調和と信頼周期であるシュメール文明は混乱がなかったのでしょう。融合から対立の周期の転換後でも、その下の調和と信頼の波が来ていたから落差も少なかった。
これがインダスになると、調和でありながら恐れの周期に入り、一瞬にして街が滅ぶなんて核戦争が起きてしまったりする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%A0%B8%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AA%AC
ちなみにミーさんはこの核の火から一人だけ助け出されたことを不満に思っており、随分自分を責め続けていました。
インド文明が花開く時は、争いでありつつも、信頼の周期に入るから悟りや仏陀の登場などで、現代を生き抜くための指標が落とされる。
中国文明はもう四つとも父性・対立・争い・恐れの流れを汲んでいるため、エネルギーの波の影響はそれらを増幅させる方向に働いている。今、中国を見て混沌と混乱に見えてしまうのは、波からしても当たり前の結果でもあるわけです。
だから縄文初期はシュメール文明と同じくしてとても調和が取れていた。後期になると必ずしも安定していたとは言えず、それなりのトラブルはあったし、全体性を乱す者はダメだというような空気は流れていたと思われる。
だから父性や対立の波の影響を受け、調和や信頼といった波は理解出来るけど分からんという人にとっては縄文時代の全体性は、個を殺す恐ろしい環境でもあったと思うのね。
ヤマトタケルが活躍していた時代年表がどこかは分からないけど、各地の魔物を退治して、全体性の調和を崩し、個別化していくという点においては分離視点から見たら美学だけど、統合視点から見たら、なんじゃそれ。ってなもの。
でも時代が個別主義に傾く上で、魔物や精霊といった大いなる力の源となる存在たちは管理し、制御しておく必要があったの。そうしないと、争いやトラブルが甚大になるから。だから封印は必要なもので、いけなかった訳ではないことを理解して欲しいの。
ただ、人間がその父性や対立といった争いや恐れのエネルギーに飲み込まれない性能を持っているのだけれど、なかなかそうは行かない。長いものには巻かれてしまうのが人の悲しいところであり、それが生き残る術でもあったから。
だから、今起きている争いや恐れが元となっている個別主義や、我良しの考え方を頭から否定しないで。それを否定する意識が粗い波長を流している発信源になってしまうから。
イルミナティやレプティリアンといった闇の勢力や権力たちもそのサイクルの一コマに過ぎないことに気づいて欲しいの。あれらと戦っては、闇に飲み込まれているのと差がないから。
だからもう終わり。彼らの役割も終焉が来たよ。ご苦労様。で良くないですか?
これからは自分たちで立てます。
管理してもらわなくても大丈夫です。
自分の創造性のエネルギーを信頼します。
魂が歓ぶ、ウキウキ、ワクワクすることを宣言し、実践しているだけで、この地球にとてつもない創造の力を与えることに気づいて!
だから感謝が大事、嬉し、楽しいが大事と言われるの。
全体性の周期そのものに入っているから、父性・対立・争い・恐れの流れに乗ったままでいると大崩壊がやってきます。立っているところが既にないのに、あると思い込んでいるからね。その仮想の現実がいまを支えていることに気づいて!!
母性・融合・調和・信頼の流れに乗った人は、隣で起きる大崩壊にも愛を持って接することができるの。心が乱れないの。苦しみを選ばないの。
ただの選択でしかありません。
良い悪いの話じゃないです。
争い・恐れの流れがあるから、個別の達成感や敗北感を味わい、苦しむことができるスリリングな遊園地だからです。魂は死にません。肉体が味わう苦痛は、肉体を持っている時にしかできない体験です。地球遊園地に肉体というチケットを手にした者が遊べる楽園なのです(スプラッターなお化け屋敷から、この世の天国という楽園までさまざまなアトラクションが取り揃えられています)。これを仏教では六道輪廻とか言ってたりしますけどね。
ただ、地球のルールが「母性・融合・調和・信頼」といったものに書き換わったのです。悟りも修行で得るものから、楽々悟れるものに転換されています。ルールが変わったことに気づいてください。地球の遊び方が大きく変わってしまったのです!
谷があり山があり、波が流れているだけ。
全体で捉えてください。
高いところから見下ろしてください。
地球に何しに来たのですか?
時間も空間もないと言われていることの意味をわかろうとしていますか?
自分の目にする情報はなんですか?
「これは不要だ」「あいつは間違っている」
そう感じてしまう心に淀みはないですか? クリアな状態と言えますか?
「闇の勢力ありがとう!」「悪魔に大感謝!」
君たちが居てくれたから、最高にスリリングで、苦痛に満ちた体験ができたよ!!
よくぞその嫌われ役を買って出てくれたね! もう大好き! だって見返りないでしょ? 悪魔崇拝なんてもので一部の人たちには指示されても、多勢には決して見向きもしてもらえない存在じゃない? 権力でコントロールがあるから争いや対立を煽り立てて、よりドラマ(人生)が面白くなったじゃない? 天才的だよね? これほどまでに用意周到で、緻密に人生を彩ってくれたのは君たちのお陰という他ない。素晴らしい。ありがとう。
「光の勢力もありがとう!」「天使に大感謝!」
あなたたちが居てくれたから、苦しみの中でも耐えて、光を見出し、頑張る気力を持てたよ。諦めずに側に居てくれて本当にありがとう。こんなどうしようもない自我にまみれて、へこたれ、いじけて、責任逃れしまくった私を支えてくれて助かったよ。途方もない労力だというのは分かるよ。何度転生しても同じところで間違えてね。それでも飽きずに寄り添ってくれた。その辛抱強さのおかけで、ここに辿り着けた。
光と闇の統合ってこういうことだよ。
いつまで分離の責任にしているの?
ただの流れだと気が付いて!
自分がこうだと思う方向に突き進んで!
この情報が多くの方に届くのを願っています(拡散していただけると助かります)。
いたのですが、素敵な文章に出愛ました。
記事を記載された方が望まれるように、私も急遽
転記しご紹介させていただくことに
いたしました。
分離と統合のサイクル
千賀さんの「ガイアの法則Ⅰ・Ⅱ」や、単純に「波」の谷と山のうねりを観ても分かるように、低いところと高いところがあるだけなんですよね。
「分離がいけない」
「争いがダメ」
というものの見方は確かにあるけれども、必要応じて分離したわけで、その延長線に争いという流れがあったというだけなんだよね。
多分縄文時代と思うのだけど、統合、調和されていた時代と言うのだけど、サイクル的にはまだ父性の時代のはずなんだよね。
この時、生け贄(人柱)とかあった(と思う)し、それを行っても皆受け入れていた。何故なら、役割を持った者が、役割を果たして還っていくのは自然なことで、それを嫌だとか、私だけ助かればという発想がなかったの。
過去世を見ていて不思議に思うことがあったのね。
生け贄にされていた人がヤマトタケルに助けられるの。普通物語的には嬉しい! とか「ありがとう」ってなるけど、「なんで助けるの?」という感覚なんですよ。
役割としての使命が果たせない事による戸惑いや混乱が大きいの。
調和から争いの時代に転換していく中でも、混乱は起きていたんですよ。
だからその人「生け贄願望」みたいな、鎖に繋がれた巫女みたいなものにシンパシーを感じていたことを打ち明けてくれました。
根底には父性周期や対立周期の中でのさらに調和の周期でもあるので、生け贄や、魔物との共存があるわけです。その中での調和や融合といった流れなので、その土台で調和を保つわけです。だから私も巫女として身を投げ、霊体となって人柱になった記憶も蘇ったりしました。肉体が借り物、器という意識がある人にとっては、生け贄とか人柱は課程の状態でしかないのです。
そこに疑問を持つ、個の幸せを願うという発想、意識がないし、教育もされていない。だから、分離意識が確立され、個人の自由と幸せを望む人たちに取っては、古い習慣や観念に囚われ、忌み嫌い、改革をせねばと使命感を燃え上がらせたわけです。
今回の時代の変化、波の変化は母性周期に加え融合に入るので、厳密に言うと多分こうです。
父性・対立・争い・恐れ
から
母性・融合・調和・信頼
といった転換なんですね。縄文時代は「父性・対立・調和・信頼or恐れ」とまぁ、そんな流れであったのでしょう。
この転換は2万5776年で巡ってくる大きな周期転換のタイミングになっているわけで、波からすると落差が激しいので「面白い」のです。
対立周期であっても、調和と信頼周期であるシュメール文明は混乱がなかったのでしょう。融合から対立の周期の転換後でも、その下の調和と信頼の波が来ていたから落差も少なかった。
これがインダスになると、調和でありながら恐れの周期に入り、一瞬にして街が滅ぶなんて核戦争が起きてしまったりする。
http://
ちなみにミーさんはこの核の火から一人だけ助け出されたことを不満に思っており、随分自分を責め続けていました。
インド文明が花開く時は、争いでありつつも、信頼の周期に入るから悟りや仏陀の登場などで、現代を生き抜くための指標が落とされる。
中国文明はもう四つとも父性・対立・争い・恐れの流れを汲んでいるため、エネルギーの波の影響はそれらを増幅させる方向に働いている。今、中国を見て混沌と混乱に見えてしまうのは、波からしても当たり前の結果でもあるわけです。
だから縄文初期はシュメール文明と同じくしてとても調和が取れていた。後期になると必ずしも安定していたとは言えず、それなりのトラブルはあったし、全体性を乱す者はダメだというような空気は流れていたと思われる。
だから父性や対立の波の影響を受け、調和や信頼といった波は理解出来るけど分からんという人にとっては縄文時代の全体性は、個を殺す恐ろしい環境でもあったと思うのね。
ヤマトタケルが活躍していた時代年表がどこかは分からないけど、各地の魔物を退治して、全体性の調和を崩し、個別化していくという点においては分離視点から見たら美学だけど、統合視点から見たら、なんじゃそれ。ってなもの。
でも時代が個別主義に傾く上で、魔物や精霊といった大いなる力の源となる存在たちは管理し、制御しておく必要があったの。そうしないと、争いやトラブルが甚大になるから。だから封印は必要なもので、いけなかった訳ではないことを理解して欲しいの。
ただ、人間がその父性や対立といった争いや恐れのエネルギーに飲み込まれない性能を持っているのだけれど、なかなかそうは行かない。長いものには巻かれてしまうのが人の悲しいところであり、それが生き残る術でもあったから。
だから、今起きている争いや恐れが元となっている個別主義や、我良しの考え方を頭から否定しないで。それを否定する意識が粗い波長を流している発信源になってしまうから。
イルミナティやレプティリアンといった闇の勢力や権力たちもそのサイクルの一コマに過ぎないことに気づいて欲しいの。あれらと戦っては、闇に飲み込まれているのと差がないから。
だからもう終わり。彼らの役割も終焉が来たよ。ご苦労様。で良くないですか?
これからは自分たちで立てます。
管理してもらわなくても大丈夫です。
自分の創造性のエネルギーを信頼します。
魂が歓ぶ、ウキウキ、ワクワクすることを宣言し、実践しているだけで、この地球にとてつもない創造の力を与えることに気づいて!
だから感謝が大事、嬉し、楽しいが大事と言われるの。
全体性の周期そのものに入っているから、父性・対立・争い・恐れの流れに乗ったままでいると大崩壊がやってきます。立っているところが既にないのに、あると思い込んでいるからね。その仮想の現実がいまを支えていることに気づいて!!
母性・融合・調和・信頼の流れに乗った人は、隣で起きる大崩壊にも愛を持って接することができるの。心が乱れないの。苦しみを選ばないの。
ただの選択でしかありません。
良い悪いの話じゃないです。
争い・恐れの流れがあるから、個別の達成感や敗北感を味わい、苦しむことができるスリリングな遊園地だからです。魂は死にません。肉体が味わう苦痛は、肉体を持っている時にしかできない体験です。地球遊園地に肉体というチケットを手にした者が遊べる楽園なのです(スプラッターなお化け屋敷から、この世の天国という楽園までさまざまなアトラクションが取り揃えられています)。これを仏教では六道輪廻とか言ってたりしますけどね。
ただ、地球のルールが「母性・融合・調和・信頼」といったものに書き換わったのです。悟りも修行で得るものから、楽々悟れるものに転換されています。ルールが変わったことに気づいてください。地球の遊び方が大きく変わってしまったのです!
谷があり山があり、波が流れているだけ。
全体で捉えてください。
高いところから見下ろしてください。
地球に何しに来たのですか?
時間も空間もないと言われていることの意味をわかろうとしていますか?
自分の目にする情報はなんですか?
「これは不要だ」「あいつは間違っている」
そう感じてしまう心に淀みはないですか? クリアな状態と言えますか?
「闇の勢力ありがとう!」「悪魔に大感謝!」
君たちが居てくれたから、最高にスリリングで、苦痛に満ちた体験ができたよ!!
よくぞその嫌われ役を買って出てくれたね! もう大好き! だって見返りないでしょ? 悪魔崇拝なんてもので一部の人たちには指示されても、多勢には決して見向きもしてもらえない存在じゃない? 権力でコントロールがあるから争いや対立を煽り立てて、よりドラマ(人生)が面白くなったじゃない? 天才的だよね? これほどまでに用意周到で、緻密に人生を彩ってくれたのは君たちのお陰という他ない。素晴らしい。ありがとう。
「光の勢力もありがとう!」「天使に大感謝!」
あなたたちが居てくれたから、苦しみの中でも耐えて、光を見出し、頑張る気力を持てたよ。諦めずに側に居てくれて本当にありがとう。こんなどうしようもない自我にまみれて、へこたれ、いじけて、責任逃れしまくった私を支えてくれて助かったよ。途方もない労力だというのは分かるよ。何度転生しても同じところで間違えてね。それでも飽きずに寄り添ってくれた。その辛抱強さのおかけで、ここに辿り着けた。
光と闇の統合ってこういうことだよ。
いつまで分離の責任にしているの?
ただの流れだと気が付いて!
自分がこうだと思う方向に突き進んで!
この情報が多くの方に届くのを願っています(拡散していただけると助かります)。