『素晴らしき師弟関係』
3月14日に慢性呼吸不全のため亡くなった
宇津井健さん(享年82歳)の「お別れの会」が1日、
東京都内のホテルで開かれ、約1000人が宇津井さんに
最後の別れを告げた。
俳優の水谷豊さんは「宇津井さんに会えてよかった。
もし、どんな人になりかいか?と聞かれたら、
宇津井健さんのような人になりたいと答えたい」
と弔辞を読んだ。
いまは「相棒」の冷静沈着な杉下右京警部として
有名な水谷さんだが、俺が初めて「水谷豊」という役者
を知ったのは、TBS系列で1977年に放送された
テレビドラマ、赤いシリーズの5作目「赤い激流」でだ。
平均視聴率25.5%、最高視聴率は37.2%(最終回)の
大ヒットドラマだが、当時小学生だった俺は嵌りに嵌った。
天才的ピアノの素質を持つ水谷さんだが、いろんなトラブルが
降り懸かり一話に一回は自棄になりピアノを投げ出そうとして
暴れる・・・それを宇津井さんが熱血に身体を張って揉み合い
ながらもピアノを続けさせようとする愛情溢れるシーンが、
子供ながら毎回心を打たれた。
37年の年月を経て、反抗的な繊細な青年を演じていた
水谷さんも61歳になり、遺影に向かって「宇津井健さんのような人に
なりたい」という弔辞のシーンをテレビで観た俺は、
感慨深い気持ちになった。
年月が流れてもドラマだけではなく実生活でも
「師弟関係」であったふたりに、「赤い激流」ファンだった
俺も温かく嬉しい気分になった。
1000人もの人たちが「お別れ会」に駆けつけたことが、
宇津井さんの人柄をあらわしている。
実は、日本の役者さんの中で、宇津井さんと水谷さんは
「赤い激流」以来、俺の中で十指に入るほど好きな方だった
だけに、宇津井さんが亡くなられたのはとても寂しいが、
最後まで「宇津井健」であり続けられたのではないか、
と思っている。
何十年にも亘り、感動を与えてくださりありがとうございます。
水谷さんには、宇津井さんのぶんまでさらに素晴らしい役者
さんとして末長く第一線で活躍してほしい。