『感動秘話☆「マリア・シャラポワ父娘物語」』 | 新堂冬樹オフィシャルブログ「―白と黒―」Powered by Ameba

『感動秘話☆「マリア・シャラポワ父娘物語」』


新堂冬樹オフィシャルブログ「―白と黒―」Powered by Ameba-62cd5d29.jpg





1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。

事故が起きた時、シャラポワの両親は


チェルノブイリの事故現場から130㎞しか離れていない


場所に住んでいた。


当時、シャラポワの母は妊娠4ヶ月だった。


お腹の赤ん坊・・・シャラポワを気遣った父は、チェルノブイリから


3000キロ離れた西シベリアのニャガンへの移住を決意した。


シャラポワのため、父は安定した生活を捨てた。


見知らぬ土地で父は油田の現場に職を得たが、


日本円にして13万円ほどの薄給だった。 


貧しく幼稚園にも行けず、おもちゃも買って貰えなかった


4歳のシャラポワの唯一の愉しみは、父が趣味でやっていた


テニスだった。


雨の日も雪の日もテニスの壁打ちをしていたシャラポワを、


近所の住民は変人扱いした。


生活するのがやっとでお金がない父は、シャラポワに子供用の


ラケットを買って上げられなかった。


苦肉の策で、自分が昔使っていた大人用のラケットの柄を切って短くし、


シャラポワに与えた。



新堂冬樹オフィシャルブログ「―白と黒―」Powered by Ameba-059.jpg





「この子には、大変なテニスの才能がある!」


我が娘の素質を見抜いた父は、ふたつも三つも仕事を


掛け持ちクタクタになって帰ってきてからも休む暇もなく、


テニスの指導書を読み漁り、シャラポワの特訓に付き合った。


うまくテニスができずに泣くこともあった我が娘に父は、


「強くなりたかったら人前で泣いちゃ駄目だ」と諭し聞かせた。


シャラポワ6歳の頃、テニス界の女王、マルチナ・ナブラチロワ選手が


特別コーチとして来るレッスンに、何とかレッスン費を工面した父は、


我が娘を参加させた。


「世界トップの女王に、娘の実力をみてもらいたい」


その一心だった。


ナブラチロワ選手は幼すぎるシャラポワに軽い気持ちで


レッスンをつけようとしたが、どこに打っても正確に、しかも、


返しにくいポイントに打ち返してくるシャラポワの天才的資質に


驚愕し、数々のトップアスリートを生み出した


アメリカの「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」への


入学を勧めてきた。


父は、シャラポワの「未来」のために、家族でアメリカに移住する


ことを決意した。


だが、アメリカに行くには渡航費、生活費など、最低100万円程度の


資金が必要だった。


家族三人が食べて行くのがやっとの父に、


そんな貯えはなかった。


父はいままで以上に仕事を増やし、早朝から深夜まで


いくつも掛け持ち、身を粉にして働いた。


しかし100万には程遠く、シャラポワの「未来」のために父は、


自分の両親と妻の両親に懇願し借金をした。


それでも、2人分の費用しか集まらず、母をロシアに


残して父娘でアメリカに渡った。


血を吐く思いで働き、それぞれの親に借金してまで


渡ったアメリカで、父の前に新たな試練が訪れた。


「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」の入学資格は


8歳からで、そのときのシャラポワは7歳だったのだ!


その上、入学金、授業料、宿舎費用合わせて


580万もの大金が必要だということがわかったのだが、


父の所持金は僅か7万だった。


ここで、普通なら諦めてしまうし、また、諦めても


誰にも責められないだけの努力をしてきた。


だが、我が娘の「未来」のため、父は諦めなかった。


入学資金と入学できるまでのテニスコーチを雇うお金を作るために、


朝は皿洗い、昼はビル清掃、夜は工事現場という具合に、


言葉も通じない異国の地で2年間も働き続けた。


家賃が払えず家を追い出されそうになりながらも、


我が娘にテニスコーチをつけ、「才能」を磨いた。


シャラポワ9歳のとき、ふたたび「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」


を訪れテストを受けると、類い稀なる才能を認められ、300万の奨学金を


与えられ特別奨学生として入学を許可された。


「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に入学したシャラポワだったが、


才能を妬まれ先輩達からイジメを受けた。


そんな我が娘の異変に気づいた父は、こう言った。


「強くなりたかったら人前で泣いちゃ駄目だと言ったが、


お父さんは別。お父さんとふたりのときは泣いてもいいんだよ」と。


シャラポワはこう返した。


「いつも愉しくやっているよ。みんな、仲良くしてくれるし」

「私、世界一の選手になるから!」

と。


そして、シャラポワは父への宣言通り、


11歳という若さで1億円の契約金を勝ち取るスタープレイヤーとなった。


2004年。娘は、人生のすべてを自分のために捧げてくれた


最愛の父へ最高の恩返しを果たす。


ウインブルドン女子シングルス決勝で、17歳のシャラポワは、


大会3連覇のかかっていたセリーナ・ウイリアムズ選手を


ストレートで破り優勝した。


優勝が決まったあとに、シャラポワは観客席に駆け上がり、


父と抱き合い喜びをわかちあった。



新堂冬樹オフィシャルブログ「―白と黒―」Powered by Ameba-2013061121370000.jpg




本当に、感動的な話だ。


父に頭にあったのは、


「娘の未来のためにどんな苦難も乗り越えてみせる!」という


鉄の信念。


娘の頭にあったのは、


「私のために人生を犠牲にしてきたお父さんに最高の幸せを

プレゼントしたい!」


という思い。


諦めなければ、「夢」は実現するということを、シャラポワ親子から


改めて教えて貰った。


新堂冬樹オフィシャルブログ「―白と黒―」Powered by Ameba-6a3cd0f643225818f67ab1135000d6be.jpg

『努力し続けているし、上手くなりたい部分が沢山ある、

その姿勢が1位をキープすることにつながる』


byマリア・シャラポワ