『エースの重責』
俺のブログでもなにかとお騒がせの
篠原楓について改めて語ろう。
いつも楓絡みのブログはおふざけテイストだが、
今日はマジブログで行く。
楓は15歳のときに福岡で開いた新堂プロの
オーディションで一位指名で所属した。
その当時は、「はっちゃけた元気娘」という
イメージで、女優のイメージからは懸け離れていた。
楓を知る周囲の人間もそう思っていたことだろう。
女優という意味だけでなく、プロとしてやってゆくには「熟成期間」が
必要だろうという感じだった。
あまりにも「素」で、あまりにも「正直」で、芸能人っぽく
なかったのだ。
ただ、楓からは言葉では言い表せない器の大きさを感じた。
実際、所属したての楓は、「芸能人らしくない言動」が目立った。
心配になるような発言の連続だった。
プラスになる意味での奔放さとマイナスになる意味での奔放さ
が混在していたのだ。
俺は、「忍耐」の精神で楓に接した。
そのときすぐにマイナス面の「奔放さ」を消してしまったら、
プラス面の「奔放さ」を消してしまうことになると思ったからだ。
なので、初期の頃はとにかく「自由気まま」にやらせていた。
この時期は同時に、楓にとっても「忍耐」の日々だったことだろう。
ほかのタレントにスポットが当たる中、彼女はずっと耐え忍んだ。
本人はそんな気はなかったのかもしれないが、状況的には「耐え忍ぶ」
日々の連続だった。
所属したばかりのときの楓を知っているタレントは
ほとんど残っていない。
もし彼女達が現在の楓の「言動」をみたら、かなり驚くことだろう。
以降の楓には、それまでの「忍耐」の日々が嘘のように、
次々とドラマや映画の仕事が舞い込むようになった。
気づいてみれば新堂プロ一番の古株になり、「看板女優」と呼ばれる
までに成長した。
オーディション当時から、18歳あたりからが楓が本格派する
時期だと読んでいた。
本人は忘れているようだが(笑)、「先にお前の時代がくるから」
みたいなことを彼女には言っていた。
12月、楓はその18歳の誕生日を迎える。
その頃から、全国ロードショーの準メインクラスや月9スペシャルドラマの
メインクラスの役が内定している。
来年には、ゴールデン帯の連ドラのレギュラーも決定している。
今年の暮れから来年にかけて、篠原楓にとって「勝負の時」となる。
だが、気は抜けない。
新堂プロは、後輩タレントが急速に成長を遂げている。
みな、タイプは違うが強烈な個性を持った強敵ばかりだ。
虎視眈々と、「エースの座」を狙っている。
「看板」の光が弱くなると、別の「光」が存在を主張してくる。
「エース」に求められるハードルは高く、その分、「犠牲」に
しなければならないことが多い。
昔からの友人、知人が知っている「楓ちゃん」のままで
はやってゆけない。
これは、楓だけではなく、ほかのタレントも同じだ。
つらいかもしれないが、芸能界に入る前と同じ感覚で一般人の
友人、知人と行動はできない。
些細なことを大きく叩かれ、大きなことをさらに大きく叩かれる
のが芸能界であり、有名人の宿命だ。
酒井法子、押尾学事件、沢尻エリカさん解雇報道は、決して他人事ではない。
誘惑が多く、注目を浴びる芸能界だからこそ、浮かれてはならない。
同世代の一般人の子達よりも、身を引き締め慎重に行動しなければならない。
篠原楓に告ぐ!
東京でも福岡でも、「新堂プロの顔」としての自覚を持って
日々自分を磨き、さらなる鮮烈な「光」を放ち続けてほしい。
またな!