早くも「第九」を | Tadのブログ

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ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
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一応12月に入ってもう2週目も終わりではあるのですが、自分の頭の中では、
「年末」はまだちょっと先かなあ・・・と思っているところではあります。

そういう心持ちではありますが、今晩は「第九」を聴いてきました。
(第九=ベートーヴェンの交響曲第9番のこと)

会場:京都コンサートホール大ホール
指揮:ロッセン・ゲルゴフ
演奏:京都フィルハーモニー室内合奏団
(その他、合唱やソプラノ等は、京都フィルハーモニー室内合奏団のHP 見てください→赤文字クリック!)



「第九」は大好きなので、何度聴いても飽きないのですが、今夜は様相が違いました。
飽きる・飽きないとかいうよりも、とにかく落ち着かない演奏だったからです。

それは多分、指揮者のこだわりによるものです。
若い(確か30前だったはず)彼には表現したい何かがあったのだろう・・・。


「独特の」解釈をしようとする指揮者と、それについて行こうとするオーケストラ。
(「独特の」とは言っても、それが彼なりの「普通の」解釈かもしれないし、
そもそも何を基準とするかは難しいところだ)

しかし、今晩は完全にマッチし切っていたとは言えない感じでした。だから落ち着かなかったのです。

チェロのパートリーダーは音符を完全に刻み切れなかった箇所があり、
ホルンのパートリーダーも2度ほど音を落としていたし(音を出せてなかった)。

よく「名盤」などといわれる演奏とはとにかく全然違うテンポ取りや解釈なワケです。
(名盤とは・・・言い換えれば、「名演」・「名録音」って感じかな。よく売れているCDだと言っても差し支えない)

練習やリハーサルで確認はしたのだろうけれど、それでも厳しそうでした。
演奏のプロでもキツいのだから、我々素人の耳にはもっとキツかった(汗)。
聴いている私を含む観客側は、結構ストレスが掛かったと思う。



その指揮者の演じ方について。
過去から存在するものに、果敢にチャレンジしたいという意欲はよく理解できます。
「第九」をこういうふうに演奏してみたい!ってのがあったのでしょう。

今の私だって、似たようなところありますしね。
従来からあるコンサルティングや、日本の一般的な会社のあり方に異議を唱えるからこそ、
独立開業したワケで。誰かの轍をなぞるだけなら、わざわざしんどいことしなくてもいいもん。

しかし、新しいもの・変わったものはなかなか受け入れられません。
やはり人間は、「安心」とか「安定」を求める生き物。
下手したら、古いものが壊れていたって、後生大事にとっておくくらいなのだから。



そんなで、今晩は単に音楽を楽しむだけでなく、自分のあり方も問われているような気分で
「第九」を聴いておりました。

う~ん、クラシック音楽も、まだまだ奥が深いぜ・・・。


今年のコンサート鑑賞はこれで終了。来年もせっせとコンサート行くぞ~!
(仕事より大事だったりして・・・笑)

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