Facebook | Tadのブログ

Tadのブログ

ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
ちょっとのぞいていって下さーい。


一緒に仕事させていただいている方のススメ(半分強制?www)で、
おとといからFacebookを始めた。
遅ればせながら(笑)。

使い方は・・・未だよくわかってません(笑)。
まあ「なんとかなるやろ」くらいの気持ちです。
でも、粗相したらアカンので、こちらからアクションはしないようにしています。



ただね・・・Facebook、怖いと思ったな。

ログインすると、こっちが情報を何も与えないのに「友達候補」なるものが抽出されてくるのだ。
出処(でどころ)は、間違いなく、ウェブメールの送受信履歴。
(ウェブメール=Yahooメール、Hotmail、Googleメールなどね)

そこで過去にメールをやりとりしたことのある方でFacebookアカウントを持ってる方が

「友達かも?」

という候補欄に勝手にあがってくる。

確かに、その方々は過去にメールをやりとりを本当にしたことがある。
それ自体は間違いではない。
しかしながら、だからといって今も「友達」かと言われたら、それは100%イエスとは言えない。

いつの間にか音信不通になってしまい、「連絡取りたいかも」と思える方も中にはあるけれど、
事情があって、こちらからワザと通信を絶っている方もあるんでね。

それを蒸し返させるようなことをされると、ちょっと気分悪い。
いくら流行のツールでも、自分の心にモヤモヤしたものを抱えながら使いたくはないし。


ということで、基本的にこのFacebookは「公」扱いすることにしようと思った。
実名公表せざるを得ないから、どのみち逃げも隠れもできない。
ならば、そこへ自分が置く情報もそれなりにバイアスが掛かったものだけにすればいい。

実際、そこでは仕事関係の方ばかりウジャウジャしているから、
本音なんてどのみち吐露できるはずもないので(笑)。
(「エッ、この人とこの人は知り合いだったのか!」なんて気付くことだらけだ。そんな場所で
ホンネ付き合いなどできるはずもない)



私は、可能な限り「公」と「私」を分けたい人間です。

もちろん、「公」のスパイスに「私」を用いることはよくあるし、
(現状、大きな「武器」もしくは「強み」になっているかも)

「私」における自分自身の立ち位置のために「公」を持ちだすこともあります。
(このブログ上で、仕事のことを書くのはそれに当たるかも)

でもホンネを言えば、完全に分けられるものなら、「公私」は分けたい。
どちらもが曖昧になると、気が休まることがなくなるのです。
また、私はそういう曖昧な人間関係を上手くあしらえるほど器用でもなく、
大勢の人(大抵は広く浅くの付き合いの人でしょう…)とワイワイやるのも苦手で、
「祭り」「パーティー」などからは、一目散に逃げ出したくなる性分です。
(とりわけ「公」には必要以上に長居をしたくない)

新しい友達ができることは、それは良いことだと思いますが、それは十分に信頼関係が醸成
されてからのことで、それなしに「友達」と認識はしづらいです。
あくまでも「仕事上の知り合い」とか、そういう扱いになってしまうでしょう。
申し訳ないのですが。


そういう意味では、ブログは「私的」な空間。
私の戯言(笑)に付き合うか否かは、私ではなく、これを読んでくださる皆さんの選択。
そして途中で面白くないと思われれば、自然と訪問なさらなくなるでしょう。
そんな緩い縛りの中でも長続きするようなことがあるなら、
それはある種十分な「信頼関係」と言えるかもしれない。



メール、ブログ、ツイッター、SNS。
いろいろと「便利なツール」は続々出現するけれど、それが本当に人間の「幸せ」につながって
いるのか、と言えば、疑問だなあ。

日本的懐古趣味とか日本的保守伝統観を下敷きにして、そういう便利なツールを使ったら
余計に混乱すると思うのは、私だけだろうか。

どんどん難しい世の中になっていってしまうな、日本は。

ペタしてね