難民の日 | Tadのブログ

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ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
ちょっとのぞいていって下さーい。


今日(6月20日)は『世界難民デー(World Refugee Day』なのだそうだ。
ラジオ聴いていて、初めて知りました。
それでインターネットで調べたら、結構いろんなことがわかってきます。

こちら↓のサイトをご参照(国連HPです、英語のみ。だけど平易な文で書かれてますので、ご一読を)
http://www.un.org/en/events/refugeeday/

※以下、赤文字はリンクつけてますので、クリックしてお読みください。



世界各地に、いろんな事情で元々住んでいた国に住めずに難民として暮らしている方がいます。
ウィキペディアで「難民」を引いてみると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B0%91

その数、総トータルで約3600万人。
(≒日本の首都圏人口
(≒カナダ まるまる一国)

めっちゃ多い。世界人口70億人と仮定として、約0.5パーセント。1000人に5人は難民ってことだから。



そして、私が昔いた国にも難民問題が存在していました。ラジオで「難民」と聞いた時に、
真っ先に思い出したのはその国のことです。今もその問題はそのままそっくり残っています。

その国、ブータン王国。
日本では「桃源郷」みたいな言われ方をよくしています(そういう論調で書かれたされた旅行記など
多数あるので、出典は省略)。また、「GHN」という言葉でも有名かも。

※GNH・・・Gross National Happiness(国民総幸福量)の略。GNP(国民総生産量)のもじり???
前ブータン国王が考案した言葉および哲学とされる。量的な幸せでなく、質的な幸せを追求する
社会を追求したいという考え。それに基づいて、国家戦略が形成され、各種施策が行われている。


しかしですね、そういう哲学を為政者が掲げる国が、難民を出していることもまた事実で。
そう、難民を「出している」のです。受け入れるのではなくて。
誰が難民になっているかというと、簡単に言えば、国王の出身の民族と同じ背景を持たない人々、
と言えば早いか(なので、一種の民族差別・迫害ともされている)。

詳しくは以下のサイトをご参照ください。特に2つ目のものは、直裁にかつ周到な調査により
書かれているのではないかと思います。

1、国連UNHCR協会サイトより
http://www.japanforunhcr.org/act/a_asia_nepal_01

2、こんなサイトもあった。よくお調べになっています。スゴイです。
(だけど、リンク貼ってもいいかどうかの許可は得てないので・・・)
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/introduc


日本でも世界のその他の国でも憲法や法律で基本的人権を謳っているところでは、
人間は生まれながらに平等(事実上違っていても)とか、その国で生を享けたらその国の国籍を与えられる、
ということに大抵の場合はなっているし、自国の法に従う限りにおいては罰せられることはない。

しかしブータンという国は、既に国民として認めていた人達を、民族・宗教・文化的背景の違いを理由に
国籍剥奪をし、その剥奪された人達が難民になった、というわけで。
その人達は、今、ネパール東部の難民キャンプに住んでいます。


私には、当時(約15年前)それがすごく変に感じられましたし、今でも違和感あります。
どうして国籍剥奪までされないといけないのか、ってね。

文化風習が違う、宗教が違う、考え方が違う・・・だからといって一緒に住んでいたのを
放り出しなんてしたら、私なんてとっくの昔に日本から放り出されてそうだけど。
「アンタは世間一般と同じ考え方してないから、ダメ!」ってね(苦笑)。

まあ、それは冗談としても(冗談が過ぎますね、失礼しました)、
人間なんて生まれながらにして、誰一人同じでないのが普通。法的に平等なんて言ったって、全然違う。
でもその違う人達が、相対する中で反発ももちろんし合うんだけれど、時には、同じものを見て
同じように感動したりするから、友達になったり愛情を感じたりするもんだと思うけどな。

それを肌の色とか宗教だけの括りにするのは、どうもね。
特に私はスポーツやっていたから、生まれに関係なく、競技ルールの下に全選手は平等に
競技できることを保障され、そのあとの結果は純粋に競技能力の巧拙の差によって決まるのだと
固く信じていたので、どんな選手でも頑張ったら勝てるって思っていたし。
(最近は、そう思わないことも増えたが・・・自分達の理想ばっかり人に押し付けるエンジ&青色の
シャツを着ている某サッカーチームが政治力まで味方に付けて幅を利かせているからね!)



他所の国のことなので、彼ら(=ブータンの人々)が好きに決めればいいけれど、あまりに偏狭な
ナショナリズムだこと、なんて思っちゃう。
一部の人の理不尽な不幸の上に成り立つ"GNH"なんて何の意味もない。

人間の世も、競争社会で弱肉強食だから、全員が等しく幸せになれるはずなどないでしょう。
でも、肌の色や宗教・生まれ持ったものを理由に誰かを貶めるのは、あまりに不細工・・・。


関わる人達全てが納得するような結論は簡単に出ない問題ですけど、
とにかく、こういうことを思い出し、そして考えた「難民の日」でした。

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