今更ながら Part Two | Tadのブログ

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ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
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月初ということで、本屋&図書館に行くついでに映画を観て来ました。
観たのは、何を今更…なのですが、MJ の『This is it』です。

今だったら、冷静に観られるかな、と思って。



20世紀最高のエンターテイナーの一人であったということは、言うまでもないことです。
何が、というより、MJから発せられる全てのものが、そうであったと言えるでしょう。


しかし、あの映画を観ると、どうも我々自体、現実(エンターテイメント)と幻想(ファンタジー)の
区別が付かなくなっていないか、不安です。

彼の「自然を大切にしたい」という想いとは裏腹に、見せようとしていたパフォーマンスは、
アーティフィシャルなもの(人造物)の塊みたいだったし、
当の本人も、のめり込みすぎていて、区別が付いていなかったんじゃないかなあ…と思いました。


但し時々は、彼自身「自分が生身の人間である」ことを思い出していたようでしたが。
例えば、Jackson 5の歌を歌うシーンで、イヤーモニターをつけていて、そこから聞こえてくる
伴奏に対し、「耳の穴に拳を差し込まれているようだ…」と言っています。
そして、その古い歌を歌っている時が、もっとも伸びやかな声になっていたようにも見えましたので。

彼は、多くの人に囲まれて、果たして幸せだったのか。

きっとJackson 5のころは、自然に湧き出てくるものを世に問うて、それを大勢の人が好きになって
くれて、楽しかっただろうし、兄弟も周りにいて幸せだったに違いないと思います。
でも、映画では、バックダンサーをはじめ、多くの人は「崇拝の対象」にすらしていたし、
「MJを動かせば、ビッグビジネスになる」という一心でのみ、近くに居た人も沢山いたのではないかと。
そういうところに本人は不整合感を持っていたのではないだろうか。

取り囲む人々の誰が友達かもわからなくなっていたんじゃないかなあ。
(きっとエルヴィスもジョン・レノンもそうだったと思う)

そして、その状態のまま最期の日が来てしまった…当人は「最期の日」なんてこと全く意識に
なかっだろうけれど。

・・・まあ、いずれも想像の域を出ませんが。


(私などは、経済的に何の魅力もない人間だから、それで寄ってくる人は皆無。ついでに言えば、
イケメンでもないから、それで寄ってくる人もいない…笑。だから、関心を寄せてくれる人は、
本当に心配して、もしくはお節介焼くためにで、私と向き合ってくれる人だろう。有難いことだ!)



あのリハーサルが現実に演じられることになっていたら、どんなものになっていただろう、とは
思うのですが、そうならなくても、あれだけの凄いものとして後世に残っていくのでしょう。

完結しなかったからこそ、いつまでも「ワクワクさせられる」ものとして。

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