映画を観てきました。
とは言っても、特別なことでも何でもなく毎月一度は見るんですが(笑)。
ここんところ運動不足気味で、ウエイトオーバーが気になり(プラス2kg。1995年春以来の重さだ)、
最寄の映画館まで往復11kmをてくてく歩いて。
観たのは『ダーリンは外国人』。
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=007592
よく知られた話だし、本も売れてるし、すでに映画そのものを観た方もあるでしょうから、内容はカットします。
お父さん役の國村隼と、お母さん役の大竹しのぶがいい味出してました…
とだけ言っておこうかな(笑)。
ただね、主人公の女性が経験した外国人ばっかりのパーティーで壁の花になってる主人公とか、
いろんな違いによる諍いとかを、やっぱりな、と思って見ておりました。
「日本人らしいな」とね。
私だったら、
パーティーで自分ひとりだけが日本人なら「やったー」って思うだろうし、
人の洗濯や炊事を手伝う時は、まず相手の思う完成形を尋ねてからでしか、手を出さないだろうし。
それに、私は映画の中の「日本人」側の気持ちも「外国人」側の気持ちもわかるから。
ああいう話が、本や映画のネタになることすら、今の私には違和感がありますけど…。
そんな私って、傍から見たら、やっぱり変なのだろうな、って思いました。
つまりは「Tad = Stranger」って感じ?
いや、エイリアン(alien)かも(笑)。
だって、別に相手が外国人だから起こりうる話ってわけではないですから。
同じ国の人同士でだって起こるに決まってる話です。
大体、人間は生まれ落ちた瞬間から、みんな別個の生き物なんだから。
たとえ血がつながっていても。
口で言うべきところのことを、阿吽の呼吸でわかろうなどというほうがムリ。
それをわからない時に、「KY」だなんて言葉で片付けようとする日本はとっても危険な国ですよ。
きちんと、意思は言葉をつくして伝えないと。
そろそろ日本社会でも、
「違いはあるのが当たり前。
違う出自や違う考えを持つ人間が、同じものを見て美しいと感じたら、それが真に美しい」
ってな風潮になってほしいんだけどなあ。
(ここではなかなかそうはなりませんね。「総論賛成、各論反対」ばっかりだもんね)