まず、次の状況を想像してみて下さい。
「皆さん自身が、もしくはご家族が、お友達が、お勤め先の同僚が、
突然倒れて、もしくは事故に遭い大怪我をして、救急車で病院へ搬送されることになりました。
一刻を争う、シリアスな状態です。
でも、道は少々混んでいて、救急車はサイレンを鳴らしているにもかかわらず、
その運転手はマイクで「道を開けてください!急病の方を(or けがされた方)を運んでいます」
とアナウンスしているにも関わらず、誰も道を開けようとしません。」
皆さんがこういう状況下にあったら、どう思われますでしょうか?
今日も夕方にサイクリング(兼エクササイズ)に出掛けました。途中しっかりと雨に降られたのはご愛嬌。
(だって自転車乗る時に、傘は持って出ない。そして持って出ない時に限って雨は降る…笑)
いつも1時間くらい自転車で走りたい時に通るコースを、普段よりはゆっくりのペースで走りました。
雨で路面が濡れているだけでなく、大きな水たまりがあちこちにありましたので、相当に慎重を期して。
しかし、軽めのギヤをクルクル回すようにして、運動量は確保します。
で、その途中、物集女街道(注:嵐山から長岡京市へ通じる京都西部の主要府道)を自宅へ向かって
北上中 に、最初に書いたような状況に出くわしました。
本当にどのドライバーも自分の車を道の端に寄せて救急車を先に通そうとしなくて、救急車は立往生。
(救急車はわずか数十メートル間の通過に1分以上かかった。私は自転車走行をやめ、歩道にて待避)
片側1車線の道ですが、主要道なので、道幅は狭くないわけです。双方向で車が通行していても、
道の端に寄って徐行すれば、その真ん中を救急車は十分に走れます。
なぜ、端に寄って徐行しないのでしょうか?「自分とは関係ないからいい」って感じでしょうか?
今日、本当に出くわしたその救急車の中の患者さんの容態はわかりません。
でも、もしそれが皆さん自身が、もしくはご家族が、お友達が、お勤め先の同僚だったら、
「道を開けて欲しい!」
って当然思うのではないでしょうか。じゃあ、逆の立場だったら、どうすべきでしょう?
今日は、たまたまサイクリング中にそれに遭遇しましたので、書いたのですが、最近、本当に救急車を
はじめとする「緊急自動車 」の通行に非協力的なドライバーが多いです(というか、大半がそう)。
「自分には関係ないから」ではなく、「明日は我が身」かもしれませんし、そもそも進路を譲らないと
いけない状況でそれをしない場合は、道路交通法違反でもあります。
ですので、ドライバーの皆さん、通行中の歩行者の方々、自転車およびバイク乗車中の皆さん
(要するに周辺にいる全員!)、緊急自動車が近づいて来たら、徐行しましょうよ。
それが、本当の意味での「相互扶助」であり、「他者への配慮」だと思うのです。
この救急車の話に限らず、何でもそうですけれど、「気遣い」が無くなっているのかな?
いくら景気が良くないと言っても、周りの人を気遣う余裕すらなくなるほどに私達は困窮しては
いないでしょう(もちろん社会全体としての話。個々に考慮すべき状況は当然存在する)。
そこまで、私達は利己主義になってしまったとは思いたくはありません。
しかし、このようなことを見る限り、それも怪しいものだと言うべきでしょうか。
何だか、当たり前のことが当たり前になされない社会になってしまっていることを見せつけられたようで、
とても腹立たしく、また薄ら寒く感じた、今日の出来事でした。