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以前に何で読んだか忘れたのだが、
(新聞だか雑誌だかのコラムだったとは思う)
「個性は常識の上に作られる」
とあった。それを読んだときに、とても考えさせられたので、
以来、そのように理解することにしている。
(但し、「常識が必ずしも正解ではない」「常識ではあっても合理的で
はないこともたくさんある」ということも強く自分に言い聞かせるように
しているが)
辞書を引くと(小学館のブックシェルフ国語辞典より引用)
「個性」とは、
「個々の人または個々の事物に備わっていて、他から区別されて
いる固有の性質。パーソナリティ。個人性。」
となっている。この定義から言えば、世界中の人、みんながみんな、
「個性的」と言ってよい。
だって、誰一人同じ人などいないのだから。
とすると、このネタにて例示されていた、若者と中年の話は、
私にはどうでもよいことだ。きっと片方から見れば、もう片方は、
個性的でない、と言うに決まっているから。
みんなどこかしら違う。そして、だからこそ面白いし、差もつく。
その違いがなかったとしたら、世に商売なんて成立しないはずだ。
もし、A社のコンピューターとB社のコンピューターが、全く同じ
だったら?
もし、XさんとYさんが全く同じ人間だったら?
(この場合はクローン、なんてことになるのかな)
逆にゾッとすると思うし、何を買えばいいのやら、誰を好きになったら
いいのやら、わからなくなる。
少しずつ存在する「落差」を食ってみんな生きているはずだしね。
で、最初の、
「個性は常識の上に作られる」
に戻すと、
「どんな付加価値も基本の上に成り立つ」
と言い換えれば、経営のヒントになるかなあ。
組織の基本、製品(商品・サービス)の基本、などなど。
だから個性とは逆に、シンプルに、基本を見直すことも必要だ、と
思わされるブログネタでした。