欧米や日本でも緊縮策という病が蔓延している。
気になった点をメモ。

《緊縮策という病:「危険な思想」の歴史》(著者:マーク・ブライス、監訳者:若田部昌澄、訳者:田村勝省,2015)


"現代的な新自由主義(ネオリベラリズム)と古典的な自由主義の経済理論はともに、経済のミクロ・レベルの供給側に焦点を当てている。すなわち、貯蓄がどのようにして投資につながり、それが今度は雇用や労働者自身が作った製品を買う賃金につながり、そしてさらに企業に再投資され、利益につながるのか? 投資への供給がなければ需要も消費もない。これとは対照的に、ケインズ経済学の主張では、消費が牽引するのは投資であって貯蓄ではない。ケインジアンにとって重要なのは集計値(所得や消費)のマクロの世界と支出の需要サイドである。ケインジアンの世界では、投資ではなく消費者が英雄である。というのは、消費者の需要が投資家の供給を決定するからだ。需要がなければ投資の供給もない。[中略]だれのために減税すべきかという問題をみてみよう。ケインジアンは貧困層向けにすべきだと考える。そうすれば今消費して、需要と消費を増やすだろう。一方、新自由主義者は賢い投資をしてもらうべく富裕層向けの減税を望む。"(60,61ページ)

ケインズ経済学の方が、受け入れやすい。


"1930年以降も金本位制にとどまり、切り詰めながら成長に至る道を模索し続けた国は、金本位を放棄して対内的にリフレを目指した諸国よりもかえって悪い状態に陥った。1920~30年代からの緊縮にかかわる第一の教訓は次の通りである。要するに緊縮は何度やっても機能しない。これを認識すればユーロ圏にとって金本位制の第二の教訓につながる。すなわち、民主主義下では金本位制を運営することはできない"(249ページ)

緊縮策が機能するという主張の裏には、他の要因による成功(拡張的な金融政策など)が隠されている、とも。


"これまでのアレシナとアルダーニャの2009年の論文は[中略]データで特定された26件の拡張的事例のうち、「経済が不況に陥っている時に赤字を削減した国や、債務の対GDP比率が削減されると同時に成長率が上昇した国は、実質的に一つもなかった」。[中略]「財政再建の成功事例は平均すると、調整の年の一年前に着実に成長していた」"(287ページ)

経済成長 > 歳出削減 > 増税

増税が最も好ましくないことはもっと知られて良いと思われますが、日本では復興増税、消費増税が立て続けに実施されてしまいました。
政治家が何を好むかに依存しているように感じます。


"緊縮は本書では次のように定義されていることを想起してほしい。

緊縮策というのは、自発的なデフレ政策の一形態であり、競争力を回復するために経済が賃金・物価・公共支出の削減を通じて調整する。競争力の回復を達成するために最適なのは、国家の予算・債務・赤字の削減である(と想定されている)。そうすることが「企業の自信」を鼓舞する、というのが提唱者の信じるところである。というのは、政府は国債発行を通じて利用可能なすべての資本を吸収してしまうことによって、投資のための市場を「クラウディング・アウトする」わけでも、すでに「多すぎる」国家債務を増加させるわけでもないからだ"(あとがき,331ページ)

"政府債務は緊縮が実施されているのに増加を続ける一方、利回りは低下を続けており、緊縮支持論とは正反対の動きを示している。これが強く示唆しているのは、中央銀行の政策が重要であり、緊縮ではなく流動性が市場を鎮静化させたということである[中略]成長は利回りを引き下げている中銀の政策から出てくるのであって、緊縮からではない。緊縮は害をもたらし続けているのであって、助けにはなっていない"(あとがき,336ページ)


緊縮策度合いが強い国ほど、失業率の回復やGDP成長率の回復が遅い。
詳しくは野口 旭さんの以下のご著書を参照願います。

『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』 


消費増税という緊縮策をしておきながら、金融緩和という反緊縮策を批判する人もいる。
病は思想的な部分にあるのかもしれない。