こんにちは(^_-)-☆ しんのすけです
前回からの続きで朱里エイコさんです。
ジェット最終便で紅白歌合戦に出場したその後ですが、1974年はシングルで「白い小鳩」などを出しましたがあまり売れなかった様。
1975年にマネージャーと結婚し渡米。ツアーを行い各地でワンマンショーを開催し人気で、ツアー初日のショーがABC-TVで放送された。
1976年にはコメディアンのレイカルド・デュオとのジョイントショーでカーネギーホールに出演(日本人女性初)
1977年にはポール・アンカに気に入られ 楽曲4曲(ジョーのダイヤモンド他3曲)の提供を受けた。
77年発売の「ジョーのダイヤモンド」は売上げ5.8万枚、オリコン最高位41位であった。
1978年に「SAMURAI NIPPON」を発売し4.9万枚で47位。
この後も数枚シングル盤は出していますが、大したセールスは記録しなくこの辺で終了という感じとなった。
その後1983年に、渡米する。1984年6月に一時帰国し、凱旋公演を東京から開始する。
1986年に帰国して日本で活動を増やす。
1987年にシングル「すべての愛をあなたに」を発売する。
1992年12月に、芸能生活25周年のリサイタルを開催する。
そして2004年7月31日に、虚血性心疾患による心不全のため自宅において58歳で死去された。
まとめ
朱里エイコさんは以上の様にエンターテナーを目指して活動されました。超有名にはならなかったけれど日米両国で良い足跡を残せたと思います。
それは31枚のシングル盤をリリースし、多くのオリジナルアルバム、ベストアルバムも発売されたことからも明らかでしょう。
アメリカのステージでは、三味線やピアノを演奏しながら歌い、得意の玉乗りを披露したとのことですが、その映像があれば観てみたいと思います。
自分でも葛藤と苦悩があって精神的に不安定な時期が長かった様です。そして、才能を持ちながらも58歳の若さで他界されたことは残念に思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
それでは曲の方を少しご紹介します。
【空間再生録音】
カートリッジにはAT-32Eを使い、3曲録音しました。
聴いたアルバムはこれ
「朱里エイコのすべて JUMPING FLASH」1974年11月発売
ほとんどが日本語詞の曲であるところが好みです。2枚組の豪華仕様
また紅白歌合戦2年出場後の年なので、内容的にはこの辺が一番お金が掛かっていて充実している様な感じでしょう。中古盤もちらほら見かけるので、そこそこのセールスは記録したのだと思います。
では、3曲続けます🎵
「古い珈琲屋」作詞:さいとう大三 作曲編曲:馬飼野俊一
「甘い夜の果て」 作詞:阿久 悠 作曲編曲:馬飼野康二
「愛のララバイ」作詞:山上路夫 作曲編曲:都倉俊一
おしまい
おまけで動画