赤羽線も随分出世したもんだ(十条中心に赤羽線の歴史を振り返る) | しんのすけのオーディオ部屋

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こんにちは(^_-)-☆  しんのすけです
 
 
子供の頃から1990年頃までは十条から電車に乗っていました。東十条ではありませんよ、「赤羽線」の十条です。
子供の頃は茶色の床が木製、木製の日よけの付いたボロい電車が走っていました。国鉄72系電車っていうのかな。
 
 
 
クモハ73333
多分、こんなやつだったと記憶しています^^;
 
 
これかな。
 
赤羽線?
古い写真ですが、右手が池袋車輛基地、左側の線路が東武東上線の様な気がします。(多分、昭和30年代)
 
 
 
そのあとは、黄色いやつ
 
赤羽線101系
総武線のお下がりだったと思います。(101系)
 
 
 
 
埼京線十条駅
現在は1985年に通勤新線として延長されて埼京線と呼ばれていますが、正式に言うと池袋ー赤羽間は「赤羽線」なのです。
 
赤羽線は池袋ー板橋ー十条ー赤羽 の4駅。なんと全長は5.5キロしかないのですね。線路と平行に道があれば歩ける距離です^^; でも、都内の駅間としては短い方じゃないと思います。
 
なお、十条駅は対向式ホームと呼ばれる上下線ホームが向かい合わせの構造で、同駅と同じ構造のホームを持つ東京23区内のJR線の少数駅の一つ。(横須賀線西大井駅、中央線水道橋駅、総武線秋葉原駅、浅草橋駅、山手線・中央線代々木駅)
 
 
 
 
 
202206121929474fb.jpeg踏切にも赤羽線と書いてあります。
 
 
 
赤羽線の歴史について調べてみました。なんと、元は山手線の本線だったのです。
 
1885年(明治18年)31日に開業した赤羽駅 - 板橋駅 - 新宿駅 - 渋谷駅 - 品川駅間の品川線が起源。当初は貨物線であったが旅客営業も行っており、新橋駅 - 品川駅 - 渋谷駅 - 新宿駅 - 板橋駅 - 赤羽駅間を13往復で所要時間1時間15分で運行された。
 

1905年(明治38年)610日:十条駅(貨物駅)が開業。

1910年(明治43年)111日:十条駅開業。

1924年(大正13年)1225日:板橋駅 - 池袋駅間が複線化。

1925年(大正14年)213日:十条駅 - 板橋駅間が複線化。331日:赤羽駅 - 十条駅間が複線化。

 

1925年(大正14年)111日に山手線が環状運転を行うようになった時、環状運転をする電車は池袋駅 - 田端駅方面へ運行したため、実質的に池袋駅 - 赤羽駅間の方が支線のような状態となったが、本来は池袋駅 - 赤羽駅間が山手線の本線。

 

 

 

【山手線の変遷】(部が赤羽線)
山手線の変遷
 
 
 
 
【昭和3年電車運行系統図】
昭和3年系統図
昭和3年の路線図では山手線(赤羽線)の表記になっています。京浜東北線の「東十条」はまだ無い(昭和6年 下十條駅として開業)。
 
 
以降、同区間は「赤羽線」という通称名で呼ばれていた。1972年(昭和47年)715日の線路区間表示等が変更された際に、池袋駅 - 赤羽駅間を山手線から分離、それまで通称として使われてきた「赤羽線」が正式に路線の名称となった。
 
現在の埼京線は、りんかい線と直通運転(2002年~)、相鉄線と直通運転(2019年~)もされています。随分と便利になったものです。
 
埼京線路線図
 
 
なお、赤羽→池袋間の通勤時間帯の混雑は有名であり、わたしも通勤途中で窓ガラスが割れるのを何度も経験しました。
赤羽にて既にすし詰め状態になっているところに、十条でかなり乗車するためドア枠の上に手をかけてケツで押さないと乗れません。女性では乗れない人も居ました。
ドアにへばりついた体勢ですが、意外と楽チン(笑)次の板橋、池袋では乗った側のドアは開かないから、ポジションは維持できました。
 

最混雑区間(板橋 ー 池袋間)ということであるが、上り電車で板橋で降りる人は少数で多少乗って来るからであって、十条駅ー板橋駅間も変わらない混雑率であった。

その混雑率(板橋ー池袋間)は1982年に296%、1987年に255%とのことです。

 

 

 

下記に埼京線の動画があるので、お暇な方は観てみたら( ^ω^)・・・

 

 

 

 
 
おしまい(^。^)y-.。o○