己の義に忠実に生きるものをいう。
この傾奇者の義とは。
己が意地を貫き通し
生きることである。
ここにひとり、現在の世を駆け抜ける
傾奇者がいた。、
それは、
ボウイズ、タクチャンボウイこと、武澤卓也なり。
シンスケボウイこと、齋藤信介と出会った時、
彼はある料理屋で働いていた。
齋藤信介も、そのお店には数回いっている。
そんなある日、武澤は、店の店長と衝突する。
通常。がまんすることが、大人である。
社会は、言いたいことを我慢しなければならない。
それが、今の世であるが、
そういった生き方ができないのが、傾奇者なのである。
武澤は、己が正しいと思うことを貫いた。
その結果、店長とは喧嘩になってしまったのだ。
そして、武澤は、こう店長にいい放った
『いまここで、僕がやめます!ってでていくのと、まだいさせてくださいお願いします。っていったあとに、くびだもうやめろ!って、あなたが言うの。どっちがきもちいいですか?』
と。
店長は、『やめろといいたいな。』という選択をした。
武澤は、
『すいませんでした。まだいさせてください』
と頭をさげ、
『もうやめろ!くびだ!』と店長。
そして、
その後武澤は、店長に
『どうですか?気持ちよかったでしょう?』といい、店を後にした。
己の生き方が、正しいとは限らない。
そんなことは、みんなわかっている。
しかし、それでも己の義を貫き通していきる。
己を。信じている。
そうして、いきることは常に死と隣り合わせなのかもしれない。
義とは、羊に我とかく。
羊は美しさの象徴でありこの字は古代中国より美をあらわす。
義という漢字は、
我に美しくとかく。
我に美しくいきること。
それが、義なのでありましょう。
ボウイズといえば、どちらかというと、僕の方が傾奇のイメージがあるかもしれません。
しかし、
もう一人。いました 傾奇者。
その名は
武澤卓也。