ローマはイタリア半島を統一する前3世紀以前は質実剛健を旨とし、美食とは無縁だったが、ポエニ戦争やマケドニア戦争を通じてギリシャやオリエントに領土を拡大するとともに、その美食文化も流れ込んできた。特にギリシャ料理の影響は大きく、ギリシャを直轄領として以降は、裕福層はこぞってギリシャの料理人を雇い入れ、料理文化と食事文化を積極的にとりこんだ。
帝政期に入ると
地中海世界とヨーロッパ全域から流入する巨大な富を背景に、ローマの美食文化は最盛期を迎えた。一方で皇帝ネロ時代のトリマルキオの饗宴に見られるように過剰な飽食に走る傾向もみられた。
古代ローマを代表する美食家アピキウスが活動したのはこの時代で、彼は今日まで伝わる古代ローマの代表的料理書「料理について」を著したとされている。美食を支える料理人は高給で雇われ、その養成の為の学校も多数存在し人気を集めた。アピキウスも料理学校を経営していたと伝えられている。