東鳥海神社。 | しんべぇ的日々。

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ありきたりな日々をさささ~ってφ(..)
花も実もないブログです。

最初にお断りしておかないいけないのがこのブログは5/11に書いたものですが、アップする際に手違いで全消去してしまいまして、書き直ししたものです。日付や時系列に多少の行き違いがあるかもしれませんが、お許しください。


数年前に地区の先輩から「東鳥海神社さ行ってみねが?昔ここの部落でもえびすだわらの奉納さ行ってらがったど」と誘われて「行ぐ行ぐ」と云ってたんだけど、なかなか行けなかった。いわゆるタイミングがって事なんだけど、今思うに東鳥海神社様に拒否られていたんじゃないかなと。

Googleマップでみると、湯沢市相川地区を通るフルーツライン(県道)から山の方に進むと途中で道路が途切れ、そのはるか山の中に東鳥海神社とあります。そこから少し先に“東鳥海山”があり、これはなかなか容易ならん状況です。

それでも同じ町の樽見内地区の方々が“えびすだわら”を奉納したというはなしを聞いていたので、何とかなるさくらいの感覚だったことも確か。


さて、先日秋田県の神社に関するアプリを何気に見ていたら、東鳥海神社の例祭が5/10とのこと。丁度その日は予定があったので、翌日なら神社までの道もある程度整備されているんじゃないかな?と思い、先輩に「急だども5/11行ってみねんしが(行ってみませんか)?」したら「俺なば何時だってええ」ってなことで急遽今日行くことに。

それは良しとして、まずは装備。熊対策としてラジオを持ち、最悪を゙想定して小型ナイフにライター、護身用兼草などを払いながら進むことを想定して消防団から古くなった鳶口↓


を借りました。先輩も゙昔使ったであろうスキーのストックを準備していましたし、共にお茶などを持ってきてからの8:30いざスタート!先輩の奥様には「お昼ころには帰りますから」と暗に先輩の昼メシの準備を促したりしまして(笑)。
麓の湯沢市相川地区までは30分もあれば楽勝でしたが、実は先輩もはっきりした登り口がわからないという事で、ナビを睨め周りを見ながら…あった!登山口の看板が!ここだと思いながらも近くに人がいたので道を尋ねると…
「東鳥海神社なばここでね」
「えっ?」
「もぉ500メートルばし行ったどさ十字路あるがら、そごがら山の方さ行ぐなだ」
「はい…ありがとうございます」
そこから走ること約500メートル、十字路に差し掛かりそこから山の方にハンドルを切ると心細気ながらも舗装路が続いています。


そのまま進むと程なく正面に家が見えてきまして、そこで行き止まりに。
ん?と車を降りると突き当りから左右に砂利道が続いているけど…。取り敢えず突き当りの家に道を尋ねるべく玄関に向かうと番犬に猛烈に吠えられながらも「おはよーございますっ!」と何度呼びかけるも応答なし。
困り果てていたところにネコ車に鎌やらスコップやらを載せた男性二人組が通りかかりました。
「すみませ〜ん、おはようございます。ちょっと道を尋ねたいんですが、東鳥海神社に行くにはどう行けば良いですか?」
「はぁ、どうってそごだ」
「ん?」
「そごよ、すぐそごだ!」
と指を指すんですが、その先は鬱蒼とした林が…ん?なんか屋根っぽいものが見えるけど…
「あの〜、東鳥海神社っていって、えびすだわらの奉納とかある神社ですか?」
「んだよ」
「東鳥海神社って東鳥海山の頂上付近…」
「あ〜、あれなば違うよ、東鳥海神社ってここだ」
「はぁ」
「オラだ、これがら神社周りの手入れしねねがら。良がったら中見で行ってけれ」
「はい、ありがとうございます」
その後聞いた話では、今年の2月に宮司さんが亡くなられ、この先どうなることやら…と心配されていました。
少し混乱しながらも纏めると、東鳥海神社って二箇所あるみたい(本宮と拝殿)。グーグルマップを゙拡大してみると、フルーツラインから枝分かれした道の途切れるところにも東鳥海神社があリました(笑)。


そんなわけで、まさかの車から降りたら目の前に目当ての東鳥海神社が!


御神木の幹周り、枝ぶりに歴史を感じながら鳥居をくぐります。

入って右側の狛犬さん。


「玉取り」です。
一方左の狛犬さんは…


子狛犬を抱いている「子取り」。
ここいら辺では珍しいんじゃないかなァ初めて見ました(先輩も見たこと無いそうです)。

先に進むと…


中々こざっぱりした境内。

社殿の壁には奉納された木札がビッシリ幾重にも貼られています。


東鳥海神社は農業の神様というだけあって、木札には農協・農業関係者の名が書かれています。

拝殿内部は…


佐竹家家紋の付いた蝋燭立てに、奉納された提灯、えびすだわらに木札が。
お賽銭を上げて参拝を゙済ませます。


令和の元号の木札も見受けられます。今なお篤い信仰の対象であることが分かります。

最後に額に一礼して…


拝殿を後にしたのでした。

さて、ここまでで9:45ほど。「昼までに帰ります」と云った割には早すぎると思った先輩が「せっかくだから、もう一つの方さ行ってみねが?」って。ワタクシ的にもほぼそんな気分だったので「行ってみるっしが!」ということで、一礼をして社殿を後にしました。
車に乗ろうとした時気がついたのですが…


道路を挟んだ所に『資料館』なる立派な建物が!残念ながらあまり管理はされていないみたいで入口付近は少し雑然としてはいましたがその佇まいは往時を忍ばせるもので、中に何が収められているのか気になるところでしたが鍵が掛かっていてそれは叶えられずに来た道を戻り返したのでした。

一旦フルーツラインまで出て先程の登山道入口を目指します…これがなんか気が付かないうちに通り過ぎてしまったようで、再度Uターンして…


お〜っ!って、なかなかどうして険しそうじゃないの。でもここまで来たからには…ってんで山の方にハンドルを切って進みます。先程よりもさらに心細気な舗装路を進むとやがて正面に比較的大きな砂防ダムが見えてきました。右手にも大きな貯水タンクがあり、木々に隠れるように割と新しめの鳥居がありました。
どうした訳かここから1枚も写真を撮っていないのですが、なんとなくその理由も後々思い当たることになります。
さて、貯水タンクの前は車が3台停めてあり、多少なりとも安堵感が湧いてきました。ただ、もう車を停めるスペースが無かったので、今来た道の端ギリギリにアタマを前にして停めました(いざっていう時に直ぐ発車出来るよう)。
ここからいよいよ鳶口とストック、諸々の装備の出番です!車から歩いていきなり急な登山道となるのですが、一寸で砂防ダム堤、つづら折りを折り返して次のカーブに差し掛かった所で振り返ると、大きな貯水タンクが下方に見えます。正直、ワタクシ的には心が折れかけていたのですが、先輩は幼少期から登山経験があったとかで意気軒昂…(苦笑)。
そこから少しなだらかになった道の向こうから下山してくる人影を発見!
「おはようございます。山菜採りですか?」
「……(苦笑)」
「あ、東鳥海山に登って来たんですか?」
「そうですよ」
確かにトレッキングシューズにザックその他にも登山者らしい装備をしています。
「頂上付近に東鳥海神社ってありますか?」
「東鳥海神社から頂上までは直ぐですよ」
「そうですか…時間にしてどれくらい掛かりますか?」
「ゆっくり行って登り2時間、下り1時間ほどです」
「……。」
標高777メートル、それも途中まで車で登って来たもんだから安直に考えていたけれど、事ここに至って容易じゃないことを思い知らされたわけで。
時間は10:00、先輩も“心骨折”状態でしたが、昼には早すぎると思ったのか「10:30頃まで登ってみるが!」ワタクシ「んだっすな」の一択。。。
やがてカーブに差し掛かるとまたキツイ登りになり、道の所々が深くえぐれています。きっと雨が降った時に一気に雨水が走ったんでしょう。深みにハマらないよう進みますが、殆ど会話らしい会話もなく黙々と…「そろそろ戻るが?」と先輩。「んだっすな」の一択。
時間は10:10でした(笑)。
帰りは一気っ!で、結局11時前の早すぎる帰宅と相成ったのでした。

文の最初に記したんだけど、“東鳥海神社に拒否られて…”は、そもそも準備段階からその予兆というべき(思い込みかもしれないけれど)事がありました。
準備した熊よけのラジオが壊れていて別のモノを持つことになったり、ライターやナイフを何度も失念したり。
その日の朝も山に登っている途中に車に準備したモノを忘れてしまい引き返す夢で目が覚めたり…。
実際、あれほど撮りまくった写真も東鳥海山に登るときは1枚も撮っていないし(もちろん無意識)。恐らく「拝殿までにしときなさい」とのお告げなんだったと受け止め今回の参拝を〆ることにしました。

後日談になりますが、湯沢市上関国道13号線沿いに大きな鳥居があります。


近くで畑仕事をしていたお姉さん(お婆さん)に鳥居の由来を尋ねたところ、東鳥海神社一の鳥居とのこと。
貯水タンクのところで見たのは二の鳥居で、以前からあったものが豪雪で壊れてしまい新しく設置とのことでした。
往時は“半夏生”の日に県南部各地から我先にとえびすだわら奉納に来る若者(わがじぇ)で賑わい、上湯沢駅からは線路伝いに(昔の道より真っ直ぐだったから)長い行列ができたそうです。
おそらくお神酒が振る舞われ、帰り道で一杯気分の若者から「おらえのかがも声かげられだりしてよ(うちの母親もナンパされたりして)」なんて話しもしてもらいました(笑)。
そういえば前に一緒に参拝した先輩からも「わらしのどき(子供の時に)奉納のあと◯✕部落ど喧嘩しできたって聞いたごとあった」という話しも聞かされたっけ。

東鳥海神社の亡くなられた宮司さんには息子さんがおられ、今は明治神宮におつとめされていて退官されたら帰ってきて跡を継ぐことになっているそうです。それまでは近くの宮司さん(親戚筋の方)がおつとめされるとのことでした。
東鳥海神社の長い歴史が途絶えることなく続いてくれることを願うばかりです。
今年の半夏生は7月1日です。都合をつけて行ってみようかな。

おしまい。