士
「7:5 そこでギデオンは兵を連れて、水辺に下って行った。【主】はギデオンに言われた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にせよ。また、飲むために膝をつく者もすべてそうせよ。」
7:6 すると、手で口に水を運んですすった者の数が三百人であった。残りの兵はみな、膝をついて水を飲んだ。
7:7 【主】はギデオンに言われた。「手で水をすすった三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの兵はみな、それぞれ自分のところに帰らせよ。」
ここには、
主の前にあって、
主がどのような者を望まれるのか、好まれるのか、
それと、主がどのようなことを通してご自身を顕されたのか、
分かると思う。
ここには、霊的な人とそうでない人の区別がある。
そして、自分の功績にしてしまうような、
そんな奉仕活動をされた者は、
神様は、その人を通してご自身の栄光を表されないことを示されている。
一生懸命になって教会活動や牧会活動をするのはよいが、
それが、神の意に、霊的な意味において沿わないような活動であっては、
主は、その活動と共には居られない。
活動を通して成功を収めても、
人が勝ち誇って傲慢になれば、
既にその勝利は、霊的敗者でしかない。
まずは、主が望まれる霊性、聖よさを求めること、
そして、主に栄光を帰するような行動こそが、
私達、主に召された者の立場である。
ここを読むと、
カルバン的選びが、どのような点で問題(間違い)であるかが示されていよう。
いってきます=