傲慢 | クリスチャンとして死ぬこと

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ヨシュア
「9:14 そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、【主】の指示を求めなかった。
9:15 ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。・・・」

 

ヒビ人とは、

主が聖絶しろと命じられていたカナン人であった。

しかし、彼らは、

自分たちは、遠い国から来た民族で、

和を求めに来た使者だと、

ヨシュアたちに嘘をついた。

ヨシュアは、

彼等の嘘に気付かづに、

ヒビ人とイスラエル人との間で、

彼等を滅ぼさないという盟約を

主の前で誓ってしまった。

 

問題は、手続きの問題につきる。

「主】の指示を求めなかった。」

と書かれています。

 

何故、ヒビ人たちと最初に会ったときに、

即座に、イスラエルの神に指示をあおぐことをせずに、

盟約をやすやすと結んでしまったのだろうか。

 

全く手続きが間違っている。

この過ちをもたらしたのは、

ヨシュア自身の自己過信であり、

傲慢の罪である。

 

ヨシュアのミスは、

彼の力にあった、

力はやがて傲慢となり、

主の御こえを聞く手段をなくしてしまったのだ。

 

私たちは、常に、弱められるだろう。

病気で、人間関係で、経済的な問題や災害で、・・・

しかし、その過程の中で、

主の判断にのみ、従う霊的知恵を学んで来たはずです。

弱さは、主に従うために大切なプロセスであった。

 

しかし、

当時のヨシュアは、ひと段落ついた勇者になっていたのではないか。

アイでの教訓が段々と薄くなっていった。


私たちは、常に弱さや失敗に学び、

謙遜を身にまとい、祈り心と共に、

主の導きを、祈り心と共に、聞き従いたいものだ。

 

いってきます=