クリスチャンとして死ぬこと

クリスチャンとして死ぬこと

検索できない本当の信仰話をあなたの元に・・・・MAR.2011

Ⅰ列王
8:20 【主】はお告げになった約束を果たされたので、私は【主】の約束どおりに父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座に就いた。そしてイスラエルの神、【主】の御名のためにこの家を建て、に
8:21 【主】の契約が納められている箱のために、そこに場所を設けた。その契約は、主が私たちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」

 

ソロモンによって神殿が建築されたが、

その最後に「契約の箱」が安置された。

契約の箱の中には、

モーセが神から託された十戒が彫られた二枚の石の板が安置されていました。

しかも、契約の箱の中には、

最初入れてあったはずの、

アロンの杖とか、マナの入った壺は、なくなっていた。

Ⅰ列王
8:9 箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。

この9節に書かれたことから、

契約とは、「神のことば」であることを強調しているように思えます。

この契約の箱こそ、

神の契約・臨在・支配・贖いを可視化した象徴であり、

神が、イスラエル人とかわした「契約の神」であることを意味しているのです。

決して、契約とは破棄されるものではなく、

必ず、守られるべき掟であり、

モーセの十戒は、神による契約書なのです。

出エジプト25章で神が契約の箱の設計を直接命じています。
人間発案ではありません。

 

ですからソロモン王によって

契約の箱が安置されたことは

遊牧時代にあった神の契約を、

決して忘れないようにすること、

忘れないということは、

イスラエル民族が一つの民族としてまとまるための

アイディンティティーを意味しているのです。

今もなお、神と民との契約は継続していることを意味し、

統一王国時代へと時代は変わってもイスラエルの民をまとめる為に、

神権政治の要(カナメ)であったことが伺えます。

 

しかし、どうだろうか。

当初神は、人が王となることを嫌っていた。

王制は人の統治であり、

神による直接統治ではないからだ。

その結果、

神に代わる異教の神々が台頭してくる可能性があったからだ。

 

王制は、神の許容であって、

神が求めた意図ではなかったのです。

その許容にあって、

イスラエル民族側が求めたのは当然、神との契約(契約の箱)でありました。

契約こそが、

イスラエルの民にとっての神の臨在の要であったからです。

モーセの時代の神の直接臨在は、

統一王国の時代に入ってからは、

預言者による「ことば」の臨在へと変遷して行ったのです。

預言者(御ことば)を通して、

父なる神は、直接的に臨在することなく、ご自身を顕されたことになる。

 

そして、神が最終的に完全に「ことば」となって現れたメシアこそが、

キリストイエスであります。

では、新約の時代に入って、

神の臨在とはどのようになったのだろうか。

モーセの時代(五百年以上)は、神の直接臨在であった。

そして王制の時代、預言者を通してご自身を顕された。

最後に、神の臨在は、どこにあるのか、

結論から言うと、臨在は消失してしまった。

但し、消失してしまったが、聖霊の宮として、神権はキリストイエスにあり、

私たち自身が神殿であると、同じ「ことば(臨在)」を通して示されているのです。

 

Ⅰコリ
3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

・・・
3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。


Ⅰコリ
6:19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。


Ⅱコリ
6:16 神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

キリストが土台であり、

私たちこそが、神の神殿であります。

神殿建築や契約の箱によって、

神の臨在を求める時代は、

今の時代の模型(寓意)であります。

それは、外見的な立派さではなく、

神が求めておられる「砕かれた心(謙遜の霊)」という内面的な神殿こそ、

現代における最終的な神の御こころなのです。

本当に神を父なる神様として愛し、

神の権威と畏れを持って、

忠実に歩むことこそ、

マサキチにとっての最善です。

 

いってきます=