日本三大火祭りのひとつと言われる野沢温泉の「道祖神祭り」。
いよいよ「社殿」を巡る、激しい攻防戦の火蓋が切られます。
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20時半、古式にのっとって、火元の家で採火された火が会場に到着し、昼間下見した枝木の山につけられたようです。
待ちに待った「火祭り」の壮絶な戦いが、今始まりました。
「社殿」上の42歳厄年の男達(見えないけれど地上の25歳厄年も?)が、早くも「火持って来い!」を連呼しています。
この「社殿」への「火つけ」に参加出来るのは村民だけで、その村民を煽っているのです。
その42歳厄年の男15名?がいるのは、地上10数mの高さ。
上の写真には雪が写っていませんが、絶え間なく降り続いており、吹き荒れる風も地上の比ではないはずです。本当に寒そう!
我々も最前列まであと3mに近づいていましたが、さすがにそこからさらに前へ進む事は叶いませんでした。
立ちはだかるのは、長身の外国人の厚い壁!地上で繰り広げられている攻防戦は見えません。頼りは彼らのスマホ映像だけ。
あ~ぁ、寒いけど何もいりません。今は、もう少し背が欲しい!
その外国人の肩越しに見える松明の炎が、祭りの荒々しい様相を窺わせます。
(ここからは、目の前で繰り広げられながらも、殆ど見えなかった白熱の攻防戦を後日、ネット動画で確認したものです)
「ショーン・ショーン・オショショノ・ショーンション」…
会場に響き渡り、ずっと気になっていた掛け声?を唱えてから、松明を振りかざし「社殿」に向かう村民達がいました。
何だか「社殿」に火をつけようとしているのではなく、守りの25歳厄年の男達に松明で殴りかかっているように見えます。
対抗する25歳は松の枝を使って、火を叩き消しています。まさに壮絶、超過激な「しばきあい」です。顔もススで真っ黒!
(再び、動画から現実の世界に戻って)このような激しい攻防戦の中、松明の火の粉が暴風で闇夜に飛び散ります。
見た目にはきれいですが、火災が心配なくらいの勢いでした。
この火の粉で多くの観客がウェアを焦がしていましたが、入場申込書の通り、損害賠償は受けられません。
祭りが佳境に入ってくると、我々の前にも後ろにも人が増え、朝夕の通勤ラッシュ並みに。
足元はツルツルで、下手に動くとすぐ転倒してしまいそう。殆ど身動きがとれない状況下での観戦が続きます。
そんな中で時おり轟く、外国人の「ウォ~」という絶叫。
一歩間違えれば、大惨事につながりかねない程、祭り会場全体が異様な雰囲気に包まれていました。
攻防戦で聞こえてきた、厄年の「火持って来い」、村民の「ショーン・ショーン…」、外国人の「ウォ~」の合間には…
42歳厄年の男達が10数m上から唸る「道祖神のうた」が、さらに祭りを盛り上げます。
22時、1時間半にも及ぶ激しい攻防戦の末、42歳厄年全員が「社殿」を降り、火が放たれました。
「社殿」は瞬く間に燃え上がります。祭りは最高潮です!!
ちなみに、宿の話では「社殿」下には、灯油(タンク)が入っているとか。そりゃ、よく燃えるわ!
「初燈篭」も1基ずつ、燃え盛る「社殿」に近づけていきます。
そして…引火した瞬間、見事に燃え尽きてしまいました。
22時半になりました。残念ながら、宿の門限である23時が近づいてきたので、最後まで見物出来ないまま帰る事に。
我々が宿に戻ってまもなく「社殿」の崩れ落ちる様子が、テレビニュースで流れたそうです。
結局、宿泊者でお祭りに行ったのは我々だけ(勿体ない!)で、22時までだったお風呂時間を延長してくれました。
42℃にセットされたお湯で全身が温まり、また宿の心遣いが嬉しく、心も温まりました。
13の外湯とは違う、温泉ではない普通のお風呂ですが、野沢温泉村で浸かった中で一番いい湯だったかもしれません。
翌朝、チェックアウト後に会場へ行くと「社殿」はまだくすぼっており、子供達があちらこちらで餅を焼いておりました。
ここで焼いた餅を食べると、1年間は風邪をひかないとか。
こうして、野沢温泉の「道祖神祭り」を見物する夢は叶いましたが、暴風雪の中での3時間立ちっぱなしはさすがに疲れました。
それでもまた機会があれば、今度は最前列であのド迫力の攻防戦をみたいと思っています。
とにかく、スケールの大きなお祭りに出会う事が出来ました。野沢温泉村の皆さんに感謝です。
未だ耳に残る、あの「ショーン・ショーン・オショショノ・ショーンション」は、私の心をとらえて離しません。