望郷!!江戸末期から明治期の古民家が複数残る廃村「大平宿」を歩く | 信濃路てんこ盛り

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「大平宿(おおだいらじゅく)」は、南木曽町と飯田市を結ぶ大平街道(県道8号)にかつて存在した宿場町です。

 

江戸期に開かれ、発展してきましたが、交通やエネルギー事情の変化に伴う過疎化が進み…

 

昭和45年、住民は200年以上続いた集落を捨て集団移住する事を決断し、この村の歴史の幕が閉じられました。

 

 

江戸末期から明治期にかけ建てられた古民家が、在りし日の姿のまま複数残る、この奇跡の廃村を歩いてみました。

 

 

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ほぼ快晴となった5月23日、「妻籠宿」を横目に国道256号から大平街道へと入り、「大平宿」を目指します。

 

この街道は県道でありながら、くねくね道が続く悪路です。本当に県道なの?

 

4月に冬期閉鎖が解除されたばかり。雪の影響からか、道路はかなり傷んでおり、あちらこちらで工事中でした。

 

その上、木立の隙間から入っている木漏れ日が眩しくて、非常に走りづらい!

 

11時20分、「大平峠」を通過し、飯田市へと入りました。道路は途端に良くなった気がします。
 

 

それでも慎重な運転を心がけ、11時半に無事「大平宿」へと到着。30数年ぶりの再訪となりました。


昭和45年(1970年)の廃村以降、この地には定住者がおりません。

 

NPО活動法人「大平宿をのこす会」が、古民家宿泊を体験出来る場所として管理してきましたが…

 

2016年のNPО解散後は、飯田市にある「南信州観光公社」が管理しており、そちらに申し込めば、宿泊が体験出来ます。

 

さて早速、駐車場に車を停め、集落の散策開始です。

 

 

まずは、集落で一番木曽寄りの「大原屋」さんから。私が小さい頃、近所に建っていた家屋みたいです。

 

当時の故郷を思い出し、懐かしさで一杯になりました。

 

 

集落を飯田方面へゆっくりと進んでいきます。

 

と、左側に「集団移住記念碑」がありました。裏面には、移住した27名(27戸?)が刻まれています。

 

移住に関しては、全員が同じ思いではなかったらしく、賛否両論があったようです。

 

本当にどんな思いで、故郷を離れたのでしょうか?

 

 

そのそばには「旧大平小学校」がありました。その佇まいはまるで、母校の小学校そのものです。

 

昭和45年の集団移住で村を離れるまで、子供達が元気よく通った事でしょう。何か、声が聞こえてきそう。

 

非常に切なくて、愛おしい原風景です。

 

 

そして、駐車場付近へと戻ってきました。

 

ここからは左へと続く県道ではなく、写真右に僅かに見える砂利道を下っていきます。

 

この砂利道が集落のメインストリートとなります。

 

 

上の写真正面に見える「からまつや」さんの玄関前には公衆電話が設置されています。

 

何せ、ここは電波が届かず、携帯電話が利用出来ません。緊急時はこの一台が心強い味方となります。

 

 

さらに砂利道を下っていくと、今回一番見たかった「紙屋」さんがありました。

 

「大平宿」をネットで検索すると、何故だか「紙屋」さんの写真が表示されるのです。

 

しかし…何と、古民家の前に車が停まっているではありませんか。宿泊者が食料等を運ぶのに停めたのか?

 

これでは写真が撮れません。定められた駐車場に停めてくれればいいのに…

 

仕方なく帰りに立ち寄る事とし、さらに下り「大蔵屋」さんへ。

 

古民家宿泊体験の里とあってか、一部改修が行われている家屋が多いものの、ここは殆ど手が入っていない感じです。

 

それでも、宿泊可能みたいです。かなりの上級者向けのお宿か?

 

 

この集落は大蔵姓が多かったようで、屋号もここの「大蔵屋」さんを始め、「おおくら屋」さん等もありました。

 

アップにするとこんな感じです。無性に懐かしさを感ずるのは私だけでしょうか?

 

 

集落の出入口までやってきました。この先は飯田方面へと続いています。

 

長年、この地に建っているであろう石塔に郷愁をそそられます。

 

 

せっかく来たのだからと、集落をはずれ「諏訪神社」を目指しましたが…

 

合計150段ぐらいある、傾斜が急な石段はきつかった!

 

 

で、ようやく到着。案内によると、集団移住後も平成28年までは、この地で春祭りが行われていたとか。

 

また社殿は老朽化で解体され、神社を閉じる事にしたそうです。

 

 

こうして再び、宿場へと戻ります。こちらは「藤屋」さんから上に延びる民家を撮影しています。

 

本当に、この地に20軒近く?もまとまって、江戸末期から明治期に建築された古民家が残っているのは奇跡です。

 

調べてみると、移住が11月末(冬前)のあわただしい時期であった為、民家が取り壊されずに済んだようです。

 

 

そして、「紙屋」さん前まで戻ってきましたが、依然として車が停まっています。

 

仕方なく、その場を通り過ぎようとしていた時、古民家前の椅子にご婦人が座っていました。

 

目が合って話し始めたのですが、その人は何とここの所有者。

 

飯田市街から定期的にこの地へ通われ、農作業を行っています。

 

「紙屋」さんは天保7~9年頃に建築され、現在12代目とか。

 

廃村前(昭和期)の集落は林業が中心で、旅館をやっている家やお店もあったそうです。

 

川魚・ウサギ・イノシシや野菜はこの地で調達し、味噌や醤油は各家庭で作られました。

 

飯田市へは米・砂糖・塩を買いに行く程度だったとの事。

 

ちょうど部屋に風を通しており、内部を撮影させて頂きました。

 

 

ここは、「南信州観光公社」経由ではなく、独自に宿泊体験を受け付けております。

 

電気・水道は通っており、布団・電子レンジ・ポットも完備。

 

宿泊は難易度が低い初心者向けのお宿。薪の販売も行ってます。

 

1棟全貸切で、1泊17500円(5名まで)、以降3500円/人となっています。

 

詳細は「エアビー 紙屋」で検索してみて下さい。

 

いろいろなお話をお伺いしておりましたが、この後の予定もあり、お別れです。

 

最後には、家の前に停めていた車を動かし、散らかっていたバケツ等まで片付け、写真撮影の配慮をして下さいました。

 

このような人との出会いがある。これだから、旅はやめられませんね。

 

 

家屋を一部改修していますが、当時の面影は十分に感じられる古民家です。

 

こうして駐車場へと戻り、本日の次なる目的地を目指して、県道8号を飯田市街方面へと向かいました。