これまで3回の投稿をお読みくださったみなさま、本当にありがとうございます。

 

EXPO’70やその時代と比較する形で、来年に予定されている博覧会に対して思うことを書いてきましたが、もうほとんど言いたいことを言ったので、半年近く何も書いていませんでした。しかしながら、こちらのページにはほぼ毎日のようにアクセスがあり、ご覧になっている方もいらっしゃるので、久しぶりに書いてみようと思うようになりました。また本日は博覧会の開幕300日前ということで、それにぶつける形で投稿します。

 

 

みなさまも各メディアを通じてご承知の通り、来年に予定されている博覧会に付いては次から次へと問題ばかり出て来て、とどまるところを知りません。あまりにも杜撰(ずさん)だと思います。本来ならば誰かがストップを掛けてもよさそうなのに、工事に大幅な遅れや変更はあるものの開催が中止される気配はまったくありません。

 

私は元日に起きた能登半島地震を機に、博覧会が中止になることを期待していました。博覧会のために使われるお金や資材、人員を被災地に回せば良いと、誰しもが考えただろうと思います。それでも大阪は考えを改めてくれませんでした。それどころか大阪府知事らは「博覧会を開催すれば被災地の人にも勇気を与えることになる」などと発言していました。今日、明日の生活の目処が立たない人々に対して、そのような発言はあまりに無神経です。

 

昨年8月の投稿で「2020年の東京五輪に関しては当初から批判的、懐疑的な目で見ていました」と書いた理由は、東京は最初、2016年の夏季五輪招致を目指していたものの、2009年のIOC総会でリオに敗れ、再度五輪を招致する口実として「復興五輪」という言い方をするようになったからです。東北の被災地では「自分たちは利用されただけ」と憤っている人々も多いです。単に「自分は東京で五輪を開催して欲しい」と言うのならともかく「東京で五輪を開催すれば、東北にとっても有益になる」などという考え方は傲慢そのものです。

 

大阪は東京がやらかしたことを再現しているだけです。

 

来年の博覧会に対しては、大阪府民ですら批判的であったり無関心であったりして、チケットの売れ行きは著しく悪いようです。その穴埋めをするためか、小学生らを無料招待という名で「学徒動員」「学徒出陣」させるようです。小学生だけでなく、多くのサクラが動員されることになるのでしょう。

 

当事者も協賛者も、今となっては多くの人が「爆死確定」になると分かっているはずです。そもそも博覧会自体が時代錯誤なのですから。それでも意味不明なプライドとかがあって中止にできないのでしょう。あるページでは「インパール作戦」などと形容されていました。在阪放送局の多くも大阪で最も人気のある政党に忖度しまくって、まともな批判をしていません。どこかの半島の北側にある国営放送局が、指導者を絶賛してばかりいるような感じです。私はこれらのことを非常に残念に思っています。

 

長くなるので、次のページに続きを書きます。