前々回、前回の投稿をお読みくださったみなさま、大変ありがとうございます。

 

私は多くのみなさまのように、このようなブログを運営していく能力はありませんので、画像もない文字だけの記事を書くことしかできません。いつもEXPO’70や2025年の博覧会の話ばかりですが、どうかご容赦ください。

 

私は4月13日に「1970年と比べ価値観や情報手段が多様化した現在では、博覧会を開催しても意味がない」「時代錯誤だ」という趣旨で記事を投稿しました。当日は2025年の博覧会の起工式が行われた日で、それにぶつける形で投稿しました。

 

あれから8ヶ月半経ちましたが、海外パビリオンの年内着工はゼロと確定しました。建設費や運営費もどんどん上振れし、これらとは別にインフラ整備費に9.7兆円、各府省の行動計画事業に3.4兆円も掛かるなど、とんでもないお金が使われようとしています。

 

参照した記事

https://mainichi.jp/graphs/20231219/mpj/00m/040/044000f/20231219k0000m040094000p

 

11月の共同通信社の世論調査によれば、大阪で最も支持を集めている政党の支持者ですら、65%が博覧会は不要だとの見解を示しているそうです。

 

加えて、この記事を書いている最中に放送されていたNHKの番組では「大阪・関西万博 9割近くが『工事参画に興味ない』建設業界調査」という見出しのニュースが放映されていました。

 

当該ニュースのページ(近日中に消える可能性が高いです)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231228/k10014302441000.html

 

しかもあの埋立地は建物を建てる前提で造成されていないため、相当地中深くまで杭を入れないと普通の家屋ですら建たないそうですね。

 

大阪府知事や大阪市長、あるいはその他の関係各位も、表向きには強がりを言っていても心の中は穏やかではないのでしょう。一刻も早く、中止の決断をするべきだと思います。

 

残念ながら大阪は、未だにEXPO’70の時代の発想を引きずったまま、2025年で勝負しようとして自爆しているのですね。日本中に迷惑を掛け、世界中から笑われていると思います。

 

話題を変えますね・・・

 

【EXPO’70開催中、遠来客は大阪の親戚宅に泊めてもらいました】

53年前は延べ6421万8770人もの人々が万国博覧会に押し寄せた訳ですが、当時は今ほど宿泊施設は充実していませんでした。遠方から主に家族総出で万博見物に来た人はどこに宿泊したかというと、大阪をはじめとした関西の親戚や知り合いの家に泊めてもらったのです。

 

当時はカー、クーラー、カラーテレビの「3C」が庶民の憧れとなっていましたが、大阪の暑い夏の夜を遠方から来た親戚や知人に快適に過ごしてもらうべく、まだまだ高価だったクーラーを設置した家庭もあります。

 

また今ほど洋式のお手洗いが普及していなかったため、大阪の新しい集合住宅などに泊めてもらった人の中には、使い方がわからなかった人も多くいました。EXPO’70の会場内でも同じように困惑した人が少なくなかったようです。ちなみに私が少し前まで居住していた住宅は1970年に建てられたものでしたが、ペーパーホルダーにはお手洗いの使い方が図示されていました。

 

内風呂は1964年に普及率が6割を超えていましたが、ガスで風呂を沸かしたことがない人もまだ多く、万博で泊めてもらったお家で水を入れずに空焚きしてしまい、火事になりかけたなどの話も聞いています。

 

万博に出掛けた人々は、万博そのものだけでなく、それに付随して経験したことまで、今もなお共通した思い出として話を弾ませることが出来るのです。

 

【昔の方が世の中は急速に変化していたように思います】

「今は世の中の変化が速い」という言葉を聞くことがあります。でも私は違うのではと感じます。例えば、昭和20年~昭和50年までの30年と、平成5年~令和5年までの30年であれば、前者の方が圧倒的に世の中は変化しています。この30年間は強いて言うなら、ネットや携帯の普及を除くと、世の中が大きく変化したようには思いません。あくまで物質的な変化に限ります。

 

EXPO’70も太平洋戦争の終結から、わずか24年7ヶ月しか経っていない段階での開催です。東海道新幹線の開業や前回の東京五輪の開催までだと19年2ヶ月しか経っていません。

 

また終戦の頃、日本の人口はおよそ7200万人でした。それが1969年(昭和44年)には1億0253万人になるので、24年で3000万人も増えた計算になります(沖縄県は含まれていません)。1987年(昭和62年)には1億2200万人台になり、42年で5000万人も増えたことになります。

 

明治から高度成長期以降の昭和時代(およびその後の時代)を過ごした人々は、昭和生まれ、特に戦後に生まれて現在高齢者と呼ばれている人たち(主に団塊の世代)に比べ、同じ年齢までに経験した変化の度合いは格段に大きいと思います。イデオロギーも大きく変わったでしょう。

 

「最近の高齢者」は新しい技術などに疎いと言われますが、「明治生まれの高齢者」は前述のように「同じ年齢の時点でより多くの変化を経験」したからか、変化に対する柔軟性に富んでおり、新しい技術や文化を貪欲に取り入れる人が多かったように感じています。EXPO’70には多くの高齢者も来場していました。同じことは幕末~明治を生きた人にも言えると思います。

 

私の祖父母は明治生まれでしたが、戦後に一般化した洋食を食べ、60才を過ぎてから普及していった家電も普通に使いこなしていました。駅の自動券売機では複雑な操作が必要となる乗車券類も問題なく購入し、単独で旅行に出かけたりもしていました。

 

「最近の高齢者」は「明治生まれの高齢者」が出来ていたようなことが出来ない人が多いと思います。

 

このようなことから、私は「最近の高齢者」よりも若い世代が高齢になると、より一層「変化を経験していない」ので、「最近の高齢者」以上に時代に即応できなくなる人が多くなるのではと推測しています。

 

ただし、高齢者がスマートフォンを持つ必要性は、現役世代のそれに比べれば明らかに低い訳で、何でもかんでもスマホ(或いはPCも含めたネット)があることを前提とした世の中になってしまったのは間違っていると思います。これでは社会参加したくても省かれる形になってしまいます。

 

EXPO’70の頃、日本は高度成長期の中でもさらに絶頂の時代でした。しかし今と比べると、機械技術などはまだ発展途上の段階にありました。これからも世の中が大きく変化していく最中だったと言えます。そして未来に対する希望が持てました。私は今の時代が変化に乏しい時代であることも、博覧会が似つかわしくないと考える一因です。

 

最近の方が時代の流れが速いと感じる人は、ネットの普及で日々多くの情報に接するようになったため(しかもその多くはどうでもいい情報だったりもする)、以前と比べて忙しく感じるだけではないのでしょうか?如何でしょう。

 

今日、12月30日に書けるのはここまでです。今後、加筆・修正をすると思います。