【ネタバレ】
◎「ペリリュー ー楽園のゲルニカー」
「生き残る、ふたりの約束ーー」
「終戦80年に届ける、史実に基づく戦火の友情物語」
「戦争が楽園を地獄に変えた 史実に基づく戦火の友情物語」
2025年12月5日(金)公開、監督は久慈悟郎、脚本は西村ジュンジ、武田一義、制作はシンエイ動画、富嶽、原作漫画は武田一義(2016年から2021年、外伝は2022年から2025年連載)、PG12、106分。
田丸均(一等兵、当初21歳、漫画家志望。cv板垣李光人)、吉敷佳助(上等兵、当初21歳。cv中村倫也)、島田洋平(少尉、当初22歳。cv天野宏郷)、片倉憲伸(兵長、当初22歳。cv茂木たかまさ)、小杉三郎(伍長、当初24歳?(1947年で27歳?)。cv藤井雄太)、泉康市(一等兵、当初18歳?(1947年で21歳?)。cv三上瑛士)など。
総合評価点は、上中下で上くらい。

・年齢を書いたのは、徴兵制、学徒出陣で、若者が(訓練は受けたもののほぼ素人が)戦場に行かされたことを示すためです。
・階級は、偉くない順に、二等兵、一等兵、上等兵、兵長、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉、中尉、大尉、○○佐、○○将、元帥、といったところです。
・「史実」とありますが、原作漫画は「本作は70年前の実際の戦場であったこと、史実をベースにしたフィクションです」とのことです(2016年8月5日の武田さんのfc2ブログ。漫画の1巻にも同旨のことが記載されているらしい)。
100%ノンフィクションとは思っていませんでしたし兵士の名前は変えているかもとは思いましたが、こういう人がこういう意味合いの言動を実際にしたものだと思いながら見たのに、鑑賞後に知ってちょっと拍子抜け。ペリリュー島の戦闘で1万人中34人しか生き残らなかったなどの大枠は事実。
○冒頭でパラオのペリリュー島の海や空や島の美しさや島民の人の良さを描くなんてね、この先に起きることが容易に想像できるだけに。。。
・父は敵と勇敢に戦って天皇陛下万歳と叫んで死んだと日本軍から報告があったと田丸に言っていた兵士、この時点で噓の報告が家族に届いたのだろうと私は思いましたが(そういう事実があったといくつか目にしているから)、その兵士が戦闘中ではない時に雨で滑って転んで頭を石にぶつけて死にました。勇敢に敵と戦って天皇陛下万歳と叫んで死んだ、と嘘の功績を書いて日本の家族に報告した田丸(そういう風に書くものだと島田少尉から指示されている。日本軍なので、上官の命令にそむくことは殴られたり嫌がらせを受けたりしかねない。ただし、島田少尉は人が良さげな感じもあるのでそんな人ではない可能性あり)。
ここで田丸は、「美談」というフィクションだと気づきました。
・1944年9月15日、4万人以上のアメリカ軍が攻撃をしてきて1万人くらいの日本軍は風前の灯火、物量が違い過ぎますし、武器の質もアメリカ軍が上にしか見えないことは画面からでも分かります。それでも2か月半も戦ったということなのは驚きです。なお、本作からは、まともに戦闘をしたのは最初の数日だけに見えました。
映画としてはこの戦闘が早めの時間に始まったのですが、戦闘は直ぐに終わるのではと思って見ていたらすぐに終わり、あとは潜伏しての持久戦で、映画としても期間としてもこちらが長かったです。
・その戦闘で、日本兵が死ぬ間際に「お母さん」(「母ちゃん」だったかも。)と言い、その直後にアメリカ兵が死ぬ間際に「ママ」と言ったのを聞いた田丸。現実の戦争で死ぬ間際に天皇陛下万歳と言った日本兵がいたことはいたでしょうけれど、、、そういうことなのは周知のことと思います。
日本軍が日本兵に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」として捕虜になることや投降することを禁じ(民間人であっても、投降しようとするとその場で死刑もあり)、そのためにも使う手榴弾(しゅりゅうだん)を渡して自決や集団自決を強いていたことも描かれていました。
○1947(昭和22)年3月にアメリカ軍のゴミ捨て場の新聞や雑誌に戦争が終わったことが書いてあるのを見つけ、4月、投降して確認しようとした田丸と吉敷、吉敷は島田少尉に撃たれて死に、田丸だけはなんとか逃げて投降でき、日本が負けて戦争が終わった事実を確認しました(他の戦場でも戦争が終わったことを知らないなどで何年何十年も潜伏したり戦闘を続けたりした日本兵がいましたね)。
ペリリュー島で生き残った田丸以外の日本兵は最初は終戦を信じず、アメリカの謀略だとして投降の説得に応じず。功績係なので兵士の情報をメモしていた田丸、田丸がメモした兵士の出身地などを基に家族等に手紙を書くことを求め、家族等からの手紙で敗戦をようやく受け入れて1947年4月に投降し、5月に島田少尉を除いて日本に帰国しました。戦争が終わって2年近くあと、田丸がペリリュー島に上陸したのが1944年6月です。
他の戦地でも実際にあったこととしてこの辺は周知の事実のはずなのですが、もしかしたら今の若者は知らないのかな。
・HPに『その犠牲の多さと過酷さに対してほとんど語られることのない「忘れられた戦い」』とありますが、日本兵(や日本の民間人)の犠牲が多くて過酷な戦場(も戦場の将校や日本本土の軍の本部による無謀な作戦)はいくつもあったから、、、ということなだけでは。
・PG12というのは、アメリカ軍の爆弾で日本兵の体が木っ端みじんにちぎれたり、戦闘で血まみれで死んだり、餓死で死んだり、集団自決で死んだり、薬がなくて病気で死んだりといった死体が多いからでしょうか?。木っ端みじんはちょっとだけですし黒くしてぼかしていますし、3頭身キャラなこともあって死体に生々しさはほぼありませんが。
3頭身キャラについて武田さんは「読む側のしんどさが、かわいくて癒やされる感じの絵にしたら少し和らげられるのでは」(2025年11月12日の朝日新聞の夕刊、12月1日の朝日新聞デジタル「小原篤のアニマゲ丼」)と言っていて、本作はそのとおりになっています。
・生々しさの少なさ自体の良し悪しは判断に少しばかり迷うところです。実写でも当時の戦場写真でも、生々しい戦争はいくつか見ていますし。
知識としての戦争にすら馴染みがない人に向けては入りやすいから良いことなのでしょうけれど、私が知識として知っている範囲でのアジア・太平洋戦争であってもこのようなことは他にもありましたし、そこをオブラートに包み過ぎな気もしますし。
とはいえ、日本が「鬼畜米英」と言ってアメリカ(米国)とイギリス(英国)を憎むべき鬼畜な敵国として戦争をしていたことや、そのアジア・太平洋戦争で餓死を含めて日本の軍人・軍属で200万人以上、日本の民間人を含めると300万人以上が死んだことさえ知らない日本人もいる様子ですから、まずはここから、ということで良しということです。
○公式HPから。
『死んでいった仲間の勇姿を手紙に書く“功績係”と、頼れる上等兵。彼らが本当に見た世界とは?
ーーお母さん、僕は明日、死ぬかもしれません。でも、やっぱり、生きて帰りたいですーー』
『太平洋戦争末期のペリリュー島、漫画家志望の兵士・田丸が任命されたのは亡くなった仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」だった。同期ながら頼れる上等兵・吉敷とともに戦った南国の美しい楽園は、襲いかかる米軍の精鋭4万人と、極力無意味な玉砕を禁じられ、徹底持久を命じられた日本軍1万人によって狂気の戦場と化していた。
“戦争”が“日常”にあった時代、若者たちが極限世界で壮絶に戦い、懸命に生きた、史実に基づく戦火の友情物語。』
『忘れられた激戦、「ペリリュー島の戦い」とは
太平洋戦争末期の昭和19年9月15日から約2か月半繰り広げられたパラオ・ペリリュー島での戦い。日本軍にとって玉砕を禁じられ持久戦で時間稼ぎをする方針転換がなされた最初の戦いとなり、その方針は硫黄島へも引き継がれた。日本軍1万人中最後まで生き残った兵士はわずか34人。米軍も1600人以上が死亡したとされる。守備の中核を担った水戸第二連隊はその9割がペリリュー島で亡くなっている。
その犠牲の多さと過酷さに対してほとんど語られることのない「忘れられた戦い」となり、2025年現在でも千を超える日本兵の遺骨が収容されず島に眠っている。』
『仲間の最期を「勇姿」として手紙に書き記す功績係ーー彼が本当に見たものとは?
太平洋戦争末期の昭和19年、南国の美しい島・ペリリュー島。そこに、21歳の日本兵士・田丸はいた。漫画家志望の田丸は、その才を買われ、特別な任務を命じられる。それは亡くなった仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」という仕事だった。
9月15日、米軍におけるペリリュー島攻撃が始まる。襲いかかるのは4万人以上の米軍の精鋭たち。対する日本軍は1万人。繰り返される砲爆撃に鳴りやまない銃声、脳裏にこびりついて離れない兵士たちの悲痛な叫び。隣にいた仲間が一瞬で亡くなり、いつ死ぬかわからない極限状況の中で耐えがたい飢えや渇き、伝染病にも襲われる。日本軍は次第に追い詰められ、玉砕すらも禁じられ、苦し紛れの時間稼ぎで満身創痍のまま持久戦を強いられてゆくーー。
田丸は仲間の死を、時に嘘を交えて美談に仕立てる。正しいこと、それが何か分からないまま…そんな彼の支えとなったのは、同期ながら頼れる上等兵吉敷だった。2人は共に励ましあい、苦悩を分かち合いながら、特別な絆を育んでいく。
一人一人それぞれに生活があり、家族がいた。誰一人、死にたくなどなかった。ただ、愛する者たちの元へ帰りたかった。
最後まで生き残った日本兵はわずか34人。過酷で残酷な世界でなんとか懸命に生きようとした田丸と吉敷。若き兵士2人が狂気の戦場で見たものとはーー。』
【shin】
