男は、子供に育てられ、父親になる
私には、二人の息子がおります。
長男は、18歳。
現在、大学受験浪人中です。
次男は、16歳。
現在、高校二年生です。
私は、彼らのことを心から愛しています。
そして、尊敬しています。
彼らは、私の人としての成長を助けてくれました。
親は子に育てられるといいますが、父親は特にそうなのです。
なので、彼らには、心から感謝をしています。
女は、子供を身ごもった時点で、母親になります。
それに対して、男は、子供が生まれてきても、まだ父親ではないのです。
もちろん、戸籍上は父親です。
しかし、女と違い、男はまったく苦しみもしてないし、身を傷めていません。
なので、子供が生まれても、父親にはなれないのです。
私の場合、産婦人科の先生の方針で、長男の出産に立ち会いました。
命がこの世に出てくる神秘さ、壮絶さを目の当たりに、命の尊さを思い知りました。
心から感動しました。
以後、人生が変わったように思います。
それゆえ、子育てには積極的に参加しました。
早朝出勤して、早めに仕事を片付けるようにしました。
定時に帰れるよう、力の及ぶ限り、調整しました。
そして、ほぼ毎日、定時には会社を飛び出し、家に帰りました。
子供を風呂に入れるためです。
上司や同僚からは、「マイホームパパ」と揶揄されましたが、まったく気にしませんでした。
ミルクもやりました。
おむつも替えました。
下手をして、手が糞尿まみれになっても、苦ではありませんでした。
嘔吐物を手で受け止めたことも何度もあります。
赤ん坊の頃、長男は、夜泣きがひどかった。
抱かないと、眠らない。
そんな日が、ずっと続きました。
家内だけでは無理なので、数時間おきに、子守りを交代しました。
真夜中に、何時間も子供を抱き続けました。
本当につらくて、しんどくて、赤ん坊が悪魔に見えたこともありました。
休日は、家内を休ませるため、子供を連れて、外出しました。
次男ができてからは、三人でよく遊びに行きました。
寝る前の、絵本の読み聞かせも、よくしました。
長男と次男にはさまれて眠るのは、至福の時間でした。
毎日、子供を抱き締めてから出勤するのが、私の習慣でした。
それは、彼らが嫌がるようになるまで、続きました。
運動会や参観など、幼稚園や学校の行事は、できるだけ参加しました。
そのために、仕事の都合を何とかつけました。
迷惑のかからない範囲で、かなり強引なこともしたと思います。
でもいずれも、義務でもなく、子供のためでもなく、家内への思いやりでもないのです。
私がそうしたかったから、そうしたまでなのです。
これらの経験を通して、私は少しずつ、父親になっていったと思っています。
決して、立派な父親ではありません。
子育てで本当に大きな苦労をしているのは、なんといっても家内でしょう。
でも、いま改めて思うのは、息子たちが、私の人としての成長を助けてくれたということです。
彼らとの時間がなければ、いま、この仕事に就くこともできていなかったに違いない。
本当に、そう思います。
ありがとう、愛する息子たちよ。
いつの日か、きみたちが同じことに気付くよう、願っているよ。
さあ、今日も、素晴らしい一日となります。
いま、生かせていただけることに、心からの幸せを感じます。
すべてを生成化育する大いなる存在に、心からの感謝を捧げます。
生きとし生けるものが、すべて幸せでありますように。
ありがとうございます。
長男は、18歳。
現在、大学受験浪人中です。
次男は、16歳。
現在、高校二年生です。
私は、彼らのことを心から愛しています。
そして、尊敬しています。
彼らは、私の人としての成長を助けてくれました。
親は子に育てられるといいますが、父親は特にそうなのです。
なので、彼らには、心から感謝をしています。
女は、子供を身ごもった時点で、母親になります。
それに対して、男は、子供が生まれてきても、まだ父親ではないのです。
もちろん、戸籍上は父親です。
しかし、女と違い、男はまったく苦しみもしてないし、身を傷めていません。
なので、子供が生まれても、父親にはなれないのです。
私の場合、産婦人科の先生の方針で、長男の出産に立ち会いました。
命がこの世に出てくる神秘さ、壮絶さを目の当たりに、命の尊さを思い知りました。
心から感動しました。
以後、人生が変わったように思います。
それゆえ、子育てには積極的に参加しました。
早朝出勤して、早めに仕事を片付けるようにしました。
定時に帰れるよう、力の及ぶ限り、調整しました。
そして、ほぼ毎日、定時には会社を飛び出し、家に帰りました。
子供を風呂に入れるためです。
上司や同僚からは、「マイホームパパ」と揶揄されましたが、まったく気にしませんでした。
ミルクもやりました。
おむつも替えました。
下手をして、手が糞尿まみれになっても、苦ではありませんでした。
嘔吐物を手で受け止めたことも何度もあります。
赤ん坊の頃、長男は、夜泣きがひどかった。
抱かないと、眠らない。
そんな日が、ずっと続きました。
家内だけでは無理なので、数時間おきに、子守りを交代しました。
真夜中に、何時間も子供を抱き続けました。
本当につらくて、しんどくて、赤ん坊が悪魔に見えたこともありました。
休日は、家内を休ませるため、子供を連れて、外出しました。
次男ができてからは、三人でよく遊びに行きました。
寝る前の、絵本の読み聞かせも、よくしました。
長男と次男にはさまれて眠るのは、至福の時間でした。
毎日、子供を抱き締めてから出勤するのが、私の習慣でした。
それは、彼らが嫌がるようになるまで、続きました。
運動会や参観など、幼稚園や学校の行事は、できるだけ参加しました。
そのために、仕事の都合を何とかつけました。
迷惑のかからない範囲で、かなり強引なこともしたと思います。
でもいずれも、義務でもなく、子供のためでもなく、家内への思いやりでもないのです。
私がそうしたかったから、そうしたまでなのです。
これらの経験を通して、私は少しずつ、父親になっていったと思っています。
決して、立派な父親ではありません。
子育てで本当に大きな苦労をしているのは、なんといっても家内でしょう。
でも、いま改めて思うのは、息子たちが、私の人としての成長を助けてくれたということです。
彼らとの時間がなければ、いま、この仕事に就くこともできていなかったに違いない。
本当に、そう思います。
ありがとう、愛する息子たちよ。
いつの日か、きみたちが同じことに気付くよう、願っているよ。
さあ、今日も、素晴らしい一日となります。
いま、生かせていただけることに、心からの幸せを感じます。
すべてを生成化育する大いなる存在に、心からの感謝を捧げます。
生きとし生けるものが、すべて幸せでありますように。
ありがとうございます。